LawDesiGn

There is nothing to writing. All you do is to sit down at typewriter, and bleed. - Ernest Hemingway

氣志團の、

毎週楽しみにしてるテレビ番組の一つに、日曜日の朝に放送される「ボクらの時代」というのがある。

今日のゲストは、雨上がり決死隊の宮迫×氣志團綾小路翔×東京スカパラダイスオーケストラのなんとかさん、で、名前からして面白くないわけがない、というラインナップ。

で、びっくりしたこと。

綾小路翔DJ OZMAって、同一人物だったのねー。

びっくり。

sweets

ここのところのちょっとうれしかったこと。

「大泥棒ホッツェンプロッツ」に出てきたおやつが、やっぱり生クリームたっぷりのプラムケーキだったこと。

昨日、本屋で児童小説の棚を見ていたら、昔読んだものをいろいろと思い出した。 その中の一つに「大泥棒ホッツェンプロッツ」シリーズがある。これこれ☺↓

大どろぼうホッツェンプロッツ (新・世界の子どもの本―ドイツの新しい童話 (1))

大どろぼうホッツェンプロッツ (新・世界の子どもの本―ドイツの新しい童話 (1))

話の内容はすっかり忘れていたのだけど、 この話の中に出てくる、おばあちゃんがつくる生クリームたっぷりのケーキだけをやたら鮮明に覚えていた。

確かこれに出てきたはずなんだけど、と思いながらページをぺらぺらしていたら、やっぱり生クリームたっぷりケーキが出てきたので、すごいしあわせな気持ち。

task flow

1. toodledo×IFTTT×Evernoteの効果

こちらのエントリで、toodledo×IFTTT×Evernoteのレシピを使い始めたことを書きました。

使い始めて2週間ほど経ちましたが、希望だったタスク管理とタスク実行の一元化を上手く図ることができるようになり、これまでのところとても便利に使えています。

タスク管理とタスク実行の一元化とは、具体的にどういうことなのか。それを説明するためにtoodledo×IFTTT×Evernoteの使い方を書いてみたいと思います。

1.1. タイマーを動かしながら、note欄に文章を書いていく。

タイマーを動かしながらnote欄に文章を書いていくことによって、アウトプットの内容がその経過時間とともに記録されていきます。 ちなみに、note欄は段差を上り下りしながら書いているので、私のtoodledoはこんな感じです。#段差ラ部☺

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toodledoのnote欄は、32,000字という大量の文字を入力できるようになっています。 とはいえ、これまではこの大量の文字入力の機能を上手く使いこなせないでいました。

その一番の理由として、このnote欄がプレーンテキストのべたうち入力であるという点が挙げられます。 もちろん、一般的にはテキスト入力さえ出来るならば、これとコピペ等の機能を組み合わせることで十分長文作成は可能です。

ただ、全体の構成を柔軟に変えることができない点で、個人的にはこのnote欄を長文作成の用途に使うことは簡単ではありませんでした。

そのため、あくまで簡易メモという域を超えることはなく、常々32,000字がもったいないなー、どうにか上手くこのnote欄を使えないだろうか、と思っていたところ、このレシピがそれを実現してくれました。

1.2 Evernoteとの連携によって、管理と実行のみならずレビューまでこのレシピ一つで完成する。

書いた文章はEvernoteに自動的に保存されるので、その内容をアウトライン化し構成を変えることも簡単にできます。IFTTTによって、toodledoのnote欄とアウトライナーを少し近づけることができるようになりました。

このように、toodledo内でのアウトプットの内容を後から見直して手を加えるということは、まさに実行タスクの内容をレビューすることにつながります。アウトプットの内容を後から見直すことは、レビューをすることと同じです。つまり、このレシピ一つで、タスク管理⇒タスク実行⇒タスクレビューの一連のサイクルが完成するというわけです。 IFTTTは、管理・実行・レビューの全てを一元化してくれました。

Evernoteと連携することでnote欄の文章を自由にtoodledoの外に持ち出すことができるようになった点は、文章作成に大きい効果をもたらしました。 そして、何より文章作成を時間の経過・記録と常にセットにすることが可能になった点は、タスク処理にもとてもよい効果をもたらしてくれました。アウトプットの進捗と質をコントロールする方法としてtoodledo×IFTTT×Evernoteが、現時点では一番上手くいく感じです。

IFTTTの具体的な使い方は、@irodrawさんがブログで詳しく書かれていますのでご参照下さい。

Evernote×Toodledo Toodledoの完了タスクをEvernoteに蓄積するiftttレシピの整理

2.「ストックからフローベースに」

2.1. 一元化とは「ストックからフローベース」にすること

この「ストックからフローベースに」という言葉は、@takaki_co8ya4さんのこちらの記事に書かれていた言葉です。

Evernoteの使い方、再考中 | 今日よりいい明日がきっとあるはず

このフレーズを見たとき、タスク管理とタスク実行を一元化するというコンセプトがとても的確に表されているなーと、ちょっと感動でした(この言葉を探していたんだ、という感じ)。そうかー、私はフローを作り出す仕組みがずっと欲しかったんだなーと気づいたからです。

タスク管理の話がとても好きな理由も、自分のタスクをより滑らかにラクに流していける方法と出会うのが楽しいからだと思います(だってちょっとでもラクにやりたいんだもん☺)。

2.2. Evernoteをフロー化する流れ

ストックが得意なEvernoteを、その内に保存している情報を外に流していく方向へも使っていこう、というのは、最近よく目にする気がします。 その際たるものがpostach.ioですね。こちらも登録してみたのでEvernoteをもっと活用できるようにいろいろ楽しんでみよう☺

他にも、sunriseというカレンダーアプリが最近Evernoteリマインダーとの連携機能を実装したそうで、興味津々。

詳細はこちらのブログに紹介されています。

情報を行動に移す、SunriseとEvernoteリマインダーの連携

実行する、ということの意味を考えさせられます。

(2,679文字)

タスクレビューの方法

タスクをリピートすることの意味

TaskChuteを楽に使う | シゴタノ!

タスクレビューの方法にもんもんとしていたところ、こちらのエントリを読んで、今更ながら「リピートタスク」の持つすごい意味に気づいた(タスクシューターにあるまじき失態)。

私の未来は私の過去であることを先回りして私に示す。私はそれでいいかどうかを確認してから行動する。それではダメだということもできる。それが大事な点です。

Togglなどでタスクログを残していくのと大きく違っているのはここです。TaskChuteでは、ログを見返すということをことさらにやる必要はないのです。自動的に現れるタスクに取りかかろうとしたときには、すでにレビューも実行していると考えていいのです。なぜならTaskChuteにおいて、リピートとして自動的に登場しているタスクとは、かつて実行されたタスクのログでもあるからです。

タスクシュートにおいて「リピートタスク」があれだけ徹底されている理由がやっと分かった。「リピートタスク」が日々目の前に現れるということは、自分の過去の行動を日々強制的にレビューする、ということなのか。言われてみれば、確かにそう。

日々繰り返されてもいい毎日を過ごしているか。
それを明らかに目に見える形にしてくれるのが「リピートタスク」の持つすごい意味だった。


リピートタスクとタスクの粒度

実は、タスクシューターでありながら、今までリピートタスクというものをほとんど使ったことがなかった。というより、使いたいのだけど使えないでいた。

その理由は、リピートできるタスクにすることと、タスクを実行できる単位にまで細かくすることとが、私の中で両立しなかったから(単にタスクシュートを上手く使いこなせていないだけ)。

人の毎日毎日の生活は、ほぼ同じことの繰り返し。とはいえ、その内容を具体的に見ればやっぱり日々違う。日々の行動がどれだけ同じか、というのは、日々の行動をどこまで抽象化して表現するかによる。例えば、「おきる、しごと、きたく、めし、ふろ、ねる」というところまで抽象化してしまえば、「自分にはリピートタスクがない」なんて思う人はいないはず。

ただ、それでは実行可能な粒度にまでタスクに分解したとはいいがたい。「リピートタスク」にすることと、そのタスクの粒度の荒さということが私の中ではイコールになってしまっていて、それがタスクシュートの中核を使いこなせていなかった理由かなーと思う。

タスクは10分単位くらいで区切るのが(このくらいでないとタスク進行の手順が明らかにならないから)、タスク実行とタスクリピート(タスクレビュー)の調整点かな。

佐々木さんが、著書やタスクシュートで指摘されていることは、「人の意思ほど当てにならないものはない」っていうことだと個人的には思っていて(違っていたらごめんなさい)、この点は自分でも嫌になるくらい痛感している。だから、いかにそのあてにならない「意思」や「努力」に頼らずに、日々を平坦に持続させるかということを考えていきたい。

そのためにも「リピートタスク」をもっと積極的に活用したい、と思う今日この頃。とりあえずやった行動はリピートタスクにして、内容を上書きしていこうかな。


タスクレビューの方法として「toodledo×IFTTT×Evernote」を試してみた

というわけで、「リピートタスク」の持つレビューとしての意味にはっとしつつ(リピートタスク活用は今後の課題)、更にタスクレビューの方法を探していたところ、彩郎さん(@irodraw)のこちらのエントリにばったり出会った。

Evernote×Toodledo Toodledoの完了タスクをEvernoteに蓄積するiftttレシピの整理

これは早速、toodledo×IFTTT×Evernoteを試してみねばなるまい。タスクシューター、toodledoをさっそく開く。

今まで、toodledoを使うときは完了タスクをPDFにしてEvernoteへ保存していたのだけど、PDFだとNote欄が特に見にくい。見直したときに何が書いてあるんだか?って感じになってしまっていた。

でも、今日一日、「IFTTT経由でEvernoteに作成されたtoodledoノート」(長い)を見つつタスクを進めてみたところ、適宜、前の完了タスクメモを読み返しながら進めることができた。これはレビューに最適かもしれないよー☺。

今のところ、toodledoのNote欄に書いた文章は、Evernote内で改行されずテキストべたうちの形で保存されてしまう。 ここが難点だと思っていたけれど、後で見やすいように修正しなければならない状態で保存されるというのも、見直すモチベーションの一つにもなる。なかなかいい。

試してみたレシピは2つ。
一つは、完了タスクを一日単位でノートにしていくものと、もう一つは、Folderごとにノートにしていくもの。 後者のFolderごとにノートにしていくレシピは、プロジェクト管理として使えたらなーと思っている。進行状況の確認が目的なので、完了タスク名と完了日だけのシンプルなノートでいいかもしれないな。

いろいろ試行錯誤していきたい。

(2287文字)

「;」(セミコロン)と「:」(コロン)の使い分け

6/25からLang-8を始めました。一番初めに書いた私の投稿に添削をして下さった方のコメントが非常に有益だったので、ここにアップしておきたいと思います。

「;」(セミコロン)と「:」(コロン)の使い分けについての私の質問に、以下のように丁寧に解答して下さいました(便宜のために、改行等を加えています)。

Your second question is more complicated again.

';' is called a 'semicolon' in English, and many native-speakers can't use it correctly. The basic rule, which I follow, is if you're unsure, don't use it since it doesn't actually change the meaning at all. You can't use ',' to connect sentences unless followed by a conjunction, such as 'but' or 'and'. If you use one of these words, you must use a ','. A semicolon connects closely related sentences, but you shouldn't use a conjunction.

Many English speakers break this rule even in formal essays and this practice is becoming more accepted; this is especially common for younger generations who use ';' as a stronger ','. This is similar to another correct usage of the semicolon - listing items that have commas in them. For example 'I can buy a banana, an apple, and an orange; two bananas and an apple; or three bananas.' The semicolon clearly marks out the three options. In the same way, a semicolon can be used in a sentence with many commas to make the different clauses stand out, for example 'John, who had just arrived at the store, wanted to buy some fruit; but after looking at the rotting apples, bananas, and oranges that the store was selling, he changed his mind.' This is widely accepted as correct but only when writing long sentences. (I've only ever met two people that regard this usage as unacceptable. Some say it's debatable, but most find it correct.)

':' is called a colon, and is used to introduce a list or an example. It's also used when writing movie titles, such as 'Terminator 2: Judgement Day'.

あまり違いはないだろうとセミコロンもコロンも区別せず(というか、区別できずに)使ってきましたが、これでもやもやが晴れました。今後はセミコロンはよほどのことがない限り使わないことにします。

コメント中に、ご本人が「;」を使ってくれているあたり、若い大学生の方です :) 。 Mitchellさん、どうもありがとうございました。

Blue Bird

7/14  朝起きてすぐは眼鏡をかけていないので、周りの風景はぽんやりしている。確かに、そうなのではあるのだが、

1/14  7:34 朝、ねぼけまなこでカーテンを開けると、部屋の窓から青い鳥が見えるようになった。ここ1週間くらいのことだ。

2/14  どうも隣の家の軒下に、その鳥が巣をつくったようなのだ。

3/14  初めは、何かの見間違いだろう、そう思ったが、これが本当に青い鳥の巣なのだとしたら、それは大変にらっきーだ。

4/14  というわけで、それに気づいてからのこの1週間、朝起きて眼鏡をかける前にカーテンをあけることにしている。

5/14  そうすると、やっぱり揺れるかわいいしっぽが見えるのだ。

6/14  その鳥は、昨日のひどい雨の日もやっぱり同じようにそこにいて、同じようにかわいいしっぽをふっていた。

8/14 どんな天気の日も、いつもそこにいる。

9/14  そういうわけで、これを写真にとってアップしてみたい気持ちもあるのだが、

10/14  そうするとたぶん、それは青い鳥でなくなることも私はうすうす知っている。

13/14 いや、でもだからこそ、それを青い鳥と人は呼ぶのかもしれない。

11/14  ない人の心には永遠にない。ある人の心には常にある。

12/14  8:28 私の青い鳥のしっぽは、今日も元気に揺れている☺

(569文字)

Communicative Design

1/17  22:11 9×9マスの展開を見てうっとりしている。1時間は眺めていられるだろう。個人的には絵画を見ているそういうイメージが湧いてくるから不思議だ。

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2/17  デザインに興味を持ち知財をやろうと思ったのが、Mandal-artの9×9マス展開を見た時。その時の感動は大げさではなく今も忘れられない。デザインというものがこんなにも心を踊らせたり、心を吸い込まれたりするようなものなのか、とその時初めて感じた。

3/17  これは、絵を鑑賞しに美術館へ行く人の心理と似たものなのではないのかなぁ(私自身は絵画にはあまり関心が持てないのだけど)。

4/17  この9×9マスと同時に、私に知財への道を開かせてくれたものがもう一つある。それは「Q.」というコミュニケーションロボットだ。それは2005年前後。当時はAIBOが大流行していた年だった。

5/17  実は、ソニーはそのAIBOの大ヒットの影で「Q.」という名のコミュニケーションロボットの開発を同時に行っていた。

6/17  残念ながら両者の商業的成果の差は歴然としている。AIBOを知っている人は少なくないだろうが、同じコミュニケーションロボットである「Q.」の存在を知っている人がどれだけいるだろう。

こちらに「Q.」の詳しい説明がされている。

Q. : 藤崎圭一郎の雑思録

メタフィジカルなアナロジー : 藤崎圭一郎の雑思録

7/17  「Q.」はその名の通り、球形をしたロボットだ。AIBOの機嫌(あえてそう呼ぶことにする)が光の反応で分かるように、「Q.」は気分(あえてそう呼ぶことにする)によって、球体の色を変える。

8/17 プロダクトデザインの手法には、既存のものの類推によるアナロジカルデザインと、既存のものをより上位概念化するメタフィジカルデザインの2種類がある。

9/17 AIBOは前者の典型で、Q.は後者の典型だ。ビジネスという面からみると、どちらのデザインが一般に受け入れられやすいか火を見るより明らかだった。しかし、この「Q.」を見て、私はプロダクトデザインの中に「自分」を解決する糸口があるんじゃないかと、そう思ったのを覚えている。

10/17  「Q.」は、犬のAIBOのように分かりやすい具現化した形を持つわけではない。「Q.」はただの球形のボールにすぎない。それでも両者は、その共通する「人間のコミュニケーション」への考え方の差が歴然と反映されている。

11/17  人が、新しい対象を受け入れる時の受け入れ方、有り体に言えば、新しい人とのコミュニケーションを成立させる際には「自分が理解可能な形を相手に求める」、それが成立の第一歩なのだということが、AIBOと「Q.」の需要の差からは感じられる。

12/17 目の前の対象が自分の理解可能な範疇にあるのか、それともそうではないのか。コミュニケーションの始まりは大抵いつもそこにある。そして、それを判断する中心的主体は常に自分自身にあり相手にはない。意識的にせよ無意識的にせよ、お互いが常にそう思っている

13/17  正直、「Q.」は可愛くないのだ。そっけない球形だから分かりにくい。AIBOとは違って抽象的な形というものは理解が難しい。こちらから近づいていかない限り、そこに意味を持たせることはできないのが抽象性の本質だ。

14/17  画面の左半分に表示させているまろさんの9×9マスを見ながら、この9×9マスに「Q.」のコンセプトと同じものを感じている。Mandal-artの使いこなしの難しさは、そのまま人と対象との関係を示しているものなのだと感じる。

15/17  ちなみに「Q.」の名前は、「Qasi-stable」から来ているそうだ。安定と不安定を行ったり来たりするコミュニケーションロボット。それが「Q.」。

16/17  22:36 「Q.」は、AIBOよりもずっとコミュニケーションの本質を捉えているなぁと感じる。自分にとって「可愛くない」ものはスルーする、そういう感じがなんとなく、ね。

(2163文字)

Mandal-artと「タイム」セル

1/14  8:40 iPhone版及びiPad版のMandal-artは最近使ってなかったのだけど(使いやすいキーボードが見つからなかったため)、昨日久々にいじってみた。

2/14  特に好きで使ってたのは「time」というセル。

3/14  2時間を8つのセルに分けると、1つのセルが15分になる。これに15分単位で自分がしていたことを記録していくのに使っていた。使い慣れてくると、だんだん時間がセルの個数で把握できるようになってきて、あるタスクの時間の見積もりもしやすくなっていくというメリットもあった。

4/14  しかし、いかんせんiPad, iphone用の気に入ったキーボードが見つからなかったせいで、使わなくなってしまったのだけど。

5/14  今回、マロ。さんがつくってくれたMOE(私はwordではなくOO使いなので(笑))で2時間を8つに分ける行動記録をまた作ってみようかなと試案中。しかも、このプログラムはOOにもエクスポートできるし。すばらしい。

6/14  ちなみに、2時間を8つのセルに分けて行動記録をとるというのは、開発者の今泉さんが当時発行されていたMandal-art eyeという無料のメルマガで紹介されていたもの。

7/14  Mandl-artを初めて使ったときは、このメルマガを読みながらとても興奮して使っていたのを思い出す。

8/14  Mandal-artは、現時点現時点をつなげていく行動実現もさることながら、20年、30年先ひいては死ぬまでの人生設計というものをMandal-artの中で構築していくというコンセプトのもとにつくられている。

9/14  本当ならここまで使いこなすことが大切なのだけど、なかなか難しくて挫折ばかり。

10/14  Mandal-artの解説書(というか、それを改めて作らなくてもMandal-art eyeという無料メルマガ)とともに、Mandal-artを売れば、購入者にもその深淵なコンセプトが伝わりやすいのになぁ、と一ファンとしては思うところであります。

11/14  そういえば、はじめてWindows版のMandal-artを見た時は度肝を抜かれたのを覚えています。こちらにサンプル画像があります。

Mandal-Art - マンダラート スクリーンショット - 情報整理やアイデア出しなどに便利 - CADCAMCUBE 工程管理・画像管理・スケジュール管理・体験版、試用版

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12/14 あの9マスマンダラート自体を中心セルとして、更にその周辺に9マスのマンダラを開く。そして、それぞれに色が付いている。なんて美しいデザインなんだと感激しました。

13/14 実は、あの美しいデザインとコンセプトも意匠法に興味をもった一つのきっかけになりました。

14/14  10:05 日本でも早く画像デザインの保護の拡充が図られることを願うばかりです。

(約1193文字)

「type trace」による読み手と書き手の創造性の変化

1/ 12:32 2014/6/15 こちらの記事にtype traceというアプリが紹介されています。詳細は、記事の動画をご参照下さい。実際にtype traceを使用した執筆の様子を見ることができます。

"Lie" (inspired by Saskia Olde Wolbers) [TypeTrace] on Vimeo

2/ これは、コラムを貫くテーマでもある「書き手と読み手の関係性」の変化、ひいては「創作概念」の変化を感じられる動画です。type trace読書は、書き手の書くプロセスに読み手が立ち会いながら本が読める点で、一人の読書の時間に「他者の時間性」を持ち込んだ新しい読書体験です*1。時間的にも空間的にも線形に流れる思考を感じつつ、時に今執筆している場所とは異なる場所へ思考が飛んでいく、その様子を読者が間近に体験することができる。

3/ これは、推敲の上に出来上がったプロダクトを順に読んでいく従来の読書とは明らかに異なる。推敲されてない書き手の飛躍する生の思考を追いかける読書である。

4/ その意味で、type traceが指し示す「読書」とは、ストーリーの流れ全体を一から楽しむという既存の「読書」の概念を大きく変化させるものだ。そこでは書き手と読み手がさながら共同執筆する様子が呈される。type traceでは読者は単なる文章の受け手ではいられない。

5/ というのも「推敲されてない生の思考を追いかける読書」とは、出来上がった全体のストーリーを受動できない代わりに、読み手には表現を受動する以上の存在であることが求められるからだ。むしろそうでなければ、type trace読書の本来の効果は発揮できない。type trace読書における「読み手」は、表現の受け手に留まらない書き手のミニ編集者的存在になっていく可能性がある。そこではもはや単なる消費者ではない。

6/ type trace読書の特徴として、直前に書かれた文章へフォーカスする力の大きさが従来の読書とは全く異なる点が挙げられる。そのためtype traceで書かれる文を見ていると、「文章を書くこと」とは直前に書いた文章に対する反応の連鎖なのだという「書くこと」の基本を改めて認識することができる。

7/ そして、それは同時に「文章を読むこと」も目の前にある書かれた一文に対して反応していくことから始まることを示す。この書かれた一文に対して一つ一つ反応していく作業は「アウトライナー的読書」に通じるものがある。両者は地道な点で共通するように思うが、大きく違うのはそのフィードバックの有無とスピード。

8/ tape traceを使って文章を書いてみると、録画されているという緊張感が早く筆を進めなければならないというプレッシャーにつながる。これは書き手にとって、筆を早く進める練習には使えるメリットがある。また、受け手にとっても、文字を負うスピード、前文と後文とのつながりを早く認識しようとせざるを得なくなる点で速読的なメリットが生まれる。

9/ 何よりtype traceで書くことは、書き手にとっても常に自分を含めた読者を意識せざるを得ない点で、通常の執筆よりcommunicativeになるのではないか。

10/ そして、読者にとっても、(自分自身を含め)フィードバックを前提としたツールを使うことは読者の「書くこと」に対する意識を下げる効果も期待できる。この点の意識改革が「Reading is Writing」への第一歩につながるように感じる。

11/ 冒頭に紹介したコラムの中で、著者のドミニク・チェンさんもtype traceによる執筆の変化について、このように書かれている。

12/ 『この執筆メソッドを通して得られた発見とは、第一に普段とは書かれる内容や構造が変化したことです。具体的には「しかし」「だが」といった逆接の表現が増え、直前に書いたことへの反論が多い文章になりました。』

13/ 直前に書いた命題の一つひとつにフォーカスし、その命題に対する反論を積み上げていく。「本を読むこと」とは本来こういう地道な作業なのだ、ということを実感させてくれるtype traceは、幼稚園や小学校低学年の国語の授業としても役に立つのではないだろうか。「書くこと、読むこと」とは「その一文に対し、一つ一つ反応することで、論理を積み上げる」ということを伝えること、個人的には、これが国語で教えるべき内容の本質であると考えたりもする(なにより、type traceの視覚効果は子供たちにとっても非常に楽しい体験なのではないだろうか)。

14/ 現代文の試験というと、主として長い評論文から重要な点を要約して把握することの重要性が強調されている気がします。もちろん、大量の文章について、その重要な部分のみを短時間にスキャンする力も重要ではあります。

15/ 13:01 2014/6/15 しかし、幼稚園、小学生のうちから(特に受験予備校等で)、そのような読み方ばかりを訓練することは、文章を精読するという読解力の基礎の基礎をおろそかにすることにならないか懸念するところではあります。

8:40 ちなみに「Reading is Writing 読むことは書くこと」第15回「読み手が書き手になる瞬間」も好きなコラムです。
私は、このコラムで述べられている「読み手が書き手になる瞬間」というのは、書かれた静的な文章が読み手の中で再構成される過程で動的なものへと変化し、それが書き手へフィードバックされる量が増えることで「書き手と読み手の一体的な感覚」が生まれる。それが「表現」の醍醐味なのではないか、という趣旨に理解しました。この書き手と読み手の創造性のサイクルとでもいうべきものが「クリエイティブコモンズ」が目指すところでもあるように感じます*2

8:05 2014/06/17時点における「Reading is Writing 読むことは書くこと」の最新コラムは、第16回「読み手のプロセス」というタイトルです。

8:11 このコラムの最後には、このように書かれています。

次回からは、書き手のプロセスが見える一方向のTypeTraceから、読み手のプロセスをレスポンスとして返すことのできるTypeTraceの在り方をブレスト的に考えていきたいと思います。

ものすごく楽しみです☺!

*1:最近の読書の流れとして、例えばkindle paper whiteのようなデバイスを使えば、ハイライト機能の共有により多数の人間と感想をシェアすることができる。ネットワークがもたらす時間と空間の超越という技術に、書き手を巻き込むのがtype trace読書といえるかもしれない。

*2:私個人的な考え方としては、クリエイティブコモンズというよりも、より「共同制作」面に重視したコピーレフト的態様に興味があるところではあります。

Lyricsについて(比喩という暗号)

8:54  阿川佐和子の著書に『婚約のあとで』というものがある。数人の女性が主人公の短編小説だ。

その中に「宙」(そら)という名の女性が主人公の話がある。宙は視覚障害を抱えている。宙には、勤務先で知り合って付き合い始めた彼がいる。彼は健常者だ。話は、彼と宙の結婚話を中心に進んでいく。

彼の結婚の申込みに対して宙は躊躇する。宙の中では結婚、それも健常者との結婚などありえないことだった。自分は彼の重荷にしかならない。いずれ二人の間に子供ができたときに、その子供に障害がでないと誰が保証できるだろうか。かといって、自分の好きな男性を父親にできないというやり切れなさも消えない。

相手を好きであればあるほど健康な女性と結婚して欲しいと思うのは、女性として当然の願いだろう。

子供は望まない、彼はそう言ってくれるのかもしれない。でも、後世に自分の遺伝子を残したい。そう思うのは人間の自然な感情だ。そのために、健康な妻であれば生じない多くの悩みや葛藤を、将来夫に抱えさせることになるかもしれない。その苦しさで夫は他の人と人生を過ごしたいと考え始めるかもしれない。

夫がそう思ったとしても無理はない。妻はそれを否定することはできない。
もしそういう悲しい事態がおこった場合、二人に何か建設的な解決策があるだろうか、それはそう簡単には見つからない。…そういう無限に続く不安が、常に結婚生活につきまとうのではないか‥。

日常生活に支障をきたす程度、それを障害というとして、障害者と暮らしていくことがどういうことか、それを経験していない健常者に理解してもらうことはたぶん人が思うほど容易ではない。

なんとかなる。そう、確かになんとかなるのかもしれない。健常者同士の夫婦にだって困難なことは山ほどある。だから大丈夫だ。

「自分は悪い方向へ考え過ぎなのだ。だって、物事の見方は人の数だけあるんだもの。感情を作り出すのは起こってしまった不幸な出来事ではない、その出来事に対する自分の考え方が悲観的な感情を作り出しているだけだ。」

これは、多くの人が正しいとする考え方に違いない。人生考え方一つだというのは、多くの宗教やセラビーが教えるところでもある。実際にそれは人間が生きていくための良い知恵なのは確かだ。

しかし、そうした「考え方の転換」が諸刃の剣であることもまた、頭の片隅で認識していなければならない。考え方の転換には多くの努力がいる。にも関わらず、その努力が一層心の重荷を大きくし何かを悪化させてしまう場合もある。考え方を転換させるということは、それほど恐ろしい面がある。自分に対して必罰的な人は、特に自分のそういう性質を認識しておかねばならない。

病状が悪化してその時に一体誰が責任がとれるだろう。それを背負うのは、家族であり夫なのだから。

宙に関して言えば、病状が悪化する可能性というのは低いのかもしれない。しかし、人の気持ちや環境は変化していく。今後の二人の生活を考えたとき、彼との結婚に宙が躊躇するのも無理からぬ心理だと思う。

「比喩」というのは素敵なことだ。特に、想いあっている二人の間だけで分かる暗号のような比喩や暗喩。恋人同士の甘い幸せなやりとり。

でも、それさえも現実認識が困難な者にとって、時に恐ろしい表現になることがある。それを想像できる人がどれだけいるだろう。

もちろん、健常者にとってその想像が難しいことを非難しているのではない。全くの健常者がそんなことを想像できないのは当たり前の話だ。健常者にとって暗喩や比喩で愛を伝えるとき。それはその人の気持ちの伝え方なのかもしれないし、またははっきりとは言えない何か事情があるのかもしれない。そう思えるなら、障害者にとってもその比喩を理解しようと努めることはとても大事なことだ。

でも、比喩や暗喩によるコミュニケーションは、精神疾患の傾向がある者の目には、それが病状の悪化と映ってしまうときがある。その暗喩が意味するものは自分の望みが見せる虚構かも知れない。彼らは常にその頭の半分では、自分が認識している「現実」が虚構であるという可能性を捨て切ることができない。何しろ、『現実』と『幻覚』の境界線を簡単に跨げてしまう人種だからだ。

客観的な事実もなしに、一体どうやって比喩や暗喩を愛情表現ととればいいだろう。それが自分が望むことであればなおさらだ。「通常ならこう受け取っていいはずだ、そう受け取りたい、でも、それはもしかしたら自分の病状が悪化していることの表れなんじゃないか。病状はますます悪くなっているんじゃないか。」

統合失調症患者のうち、ある程度軽度なレベルの方は、現実と幻覚との間に生きている人が多い。調子がよければ現実に戻れるかもしれないが、調子が悪ければ幻覚の中にしか生きられない状態にある。

だから、なるべく頭の中で出来上がるストーリーを信じないように現実に確かめたもの以外は事実かどうか分からない、と強く考えるように練習する。たとえ、自分の目に見える景色でも、自分の耳に聴こえてくる音でも、それが幻覚や幻聴である可能性を常に頭に置いておかなければならない。自分自身の何一つあてにできない。それが現実認識が難しいということの意味だ。

そして、現実に確かめられない事実は自分の希望次第でいかようにも見えてしまう。だから、そうしないように必死で頭の中で出来上がるストーリーを否定する。なんとか日常生活に支障が出ずに生活していけるようにするために。

私が人づてに聞いた話で、やはり同じような症状を抱えている人がいる。 その人は調子が悪くなると、こびとが見えるそうだ。彼女は、こびとが見えたら「あー、今体調が悪いんだな」というサインだと捉えるようにしているとのことだった。他の人の目には見えない彼女のこびとは、虚構の世界に迷い込ませないように彼女を現実に押しとどめる大切な防波堤なのだ。心というものは、そうして自分を守る。

それがどういう状態なのか、健常者に理解できる話ではないだろう。むしろ理解できる方が不思議なくらいだ。健常者と障害者の間の溝というのは、本人たちの努力ではどうしようもない部分がある。それが現状だ。

ただ、そこに救いを見出すものが哲学なのだ。哲学者とは、常に現実と虚構の間にあって、なお必死で現実の人間として生きようとするそういう人種のように思う。

「当然のことは当然ではない。自分の感覚はあてにならない。自分を確かに信じることができない。では何を支えに生きていけばいいのか。」これはデカルトの思想の出発点だ。 「我思う。ゆえに我あり。」とは、単純に考えろという意味ではない。考えろという言葉の前提には「考える主体」というものが明確な前提とされているからだ。

「健常者と障害者の間の溝というのは、本人たちの努力ではどうしようもない部分がある。」

これを考えるときに、思い出す小説が『ノルウェイの森』だ。 私がこの小説をが好きになれない一番の理由もここにある。

ただただ精神を病んだ直子を美しく書きながら、そして最後には直子は死ぬことになる。彼女はやはりこの世で生きていくには、あまりにも弱すぎた。

あの小説は、健常者と障害者の埋めることの出来ない溝が存在することを残酷に書き表している。

直子に必要だったものは何だろうか。彼女は、放っておくと幻覚の中に進んでいってしまうエスカレーターにのっているようなものだ。そのエスカレーターが主人公には見えなかった点で、主人公と直子の結末はあれしかなかったのだろうと私は思う。

ノルウェイの森』を読んだ人は、何を感じるんだろうか。深い愛情をもってしてもそのどうにもならない現実の溝を見て、心を打たれるのだろうか。

9:51 私は、それをとても羨ましく思う。

Love and Hell:Word Piece >>by Tak.:So-netブログ

好きなエントリから引用。

(あなた)のことを想像はできても理解はできない。

(あなた)の中には(わたし)に見えない地獄がある。(わたし)の中に(あなた)に見えない地獄があるように。

(あなた)の地獄の存在を知り、理解したいと願い、全力で想像することをたぶん愛という。

でも(あなた)のことを想像はできても理解はできない。

愛することが苦しいのは、いかに想像したところでそれが本質的に不可能なことだからだ。

それでも(わたし)は(あなた)のことを全力で想像するしかない。ロジックだけではなく五感の全てを使って。

(あなた)の地獄は何だろう。

参考リンク

「世界は暗喩に満ちている」−overtones - LawDesiGn

(4300文字)

法律家の事件処理とアウトライナーの活用

15:35 「法情報学ーネットワーク時代の法学入門」(加賀山茂・松浦好治著)を読んでいる。

法情報学―ネットワーク時代の法学入門

法情報学―ネットワーク時代の法学入門

(画像がないのががっかりですが)この本は、ネットワーク時代において法律家がコンピュータを最大限に利用して事件処理を行うためのガイドブックである。

第2章では、弁護士が受任した、いじめによる自殺の案件を例に、事実の整理と分析作業について詳細に解説がなされている。

特に、関連判例をデータベースにより収集したのち、本事件と類似する事案の最高裁判決について、事実の部分のみをそっくり当該相談に係る事実におきかえてみる、という方法は具体的で有益だった。

すなわち、最高裁で認められた判例法理が当該事件にも妥当するといえるためには、その判例法理が前提としている事実関係と当該相談における事実関係の間に、本質的な類似性が認められなければならない。

この類似性の検討方法の一つとして、判決文中の事実記載を、本件相談の事実にそっくり置き換えてみてもなお、その判例法理が本件相談において判例と同様の結論を導く根拠として説得力を持つか、説得力が足りない場合は、いかなる事実を付加すれば十分な説得力を獲得するかを検証する方法が紹介されている。

これは、判例学習において、判例の射程を考える上で役に立つと感じました。判例の結論は常に特定事案の解決という制約があります。そのため、その特定の事案において何が「重要な事実」(それが変化することにより結論が変わりうる事実)と判断されているのかを考えること、それが判例の射程を考えることだという点を改めて認識できたので有益でした。

中でも段差ラ部として一押しの点は、第4章「議論の構築」の章で書かれている訴状の分析手法。本書では、訴状の文章を単文ごとに改行し、一文一文について検討メモを付加していく手法が紹介されています。

これは、個人的にいつも行っているアウトライナー読書と同じやり方です。同じような文章検討の仕方を紹介している書籍というのを見たのは初めてだったので段差ラ部としては嬉しい限り。

更に第5章では、論文の設計図を引く手順として、まず200字程度のメッセージを書くこと、そして、そのメッセージを主語・述語を持つ単文の形で箇条書きにし、各単文に根拠や背景を付け加えて、1000字程度のシナリオを作ることを勧めている。

その際、接続詞を使って文章の流れを明確にすることも重要であると指摘されている。

この書き方は、Happy Outlining!のこちらの記事で、Tak.さんも「Writing in Process」として紹介されているので、ご参照下さい。

16:01 本書では、これらの方法論を実践する道具としてアウトラインプロセッサが紹介されている。著者もアウトライナーを愛用している方のよう。なお、付属のCD-ROMには2ペイン式のStory Editorというフリーソフトも収録されています。

法律学習者の方にはぜひおすすめしたい本です。 そして、是非段差ラ部部員に☺!

マロ。さんによるOmni OutlinerとTwitter連携スクリプト

1/ 11:15 マロ。(@maro_draft)さんのOmni Outlinertwitter連携スクリプトのデモ画面みました。

2/これはすごい。まさにイメージしていた通りのものでした。

3/実は、少し前にこちらのブログを見て、tweetのアウトライン化を実装できないか考えていたところでした。「思考のエンジン」等の著作がある奥出直人さんの「奥出直人のTwitter的生活」というブログです(現在は更新されていないようです。残念。)。

4/奥出さんの著作を読まれた方は、この方が1990年前後という一早い段階で、論文作成にアウトラインを活用されていたことをご存知だと思います。

5/その奥出さんのブログで、ツイートを箇条書きの形で記事にされている(例えば、このエントリ「大学院で学ぶことは『開かれた思考技術』である」)を見ると、各ツイートがアウトライン化できるのかもしれない、とかなり妄想していました(笑)。

6/(ちなみに、少し調べてみたのですが、bloggertweet連携機能が備えられていないため外部アプリを使って連携されているのだと推測します。なので、アウトライン化はできないと思われます。)

7/このブログを見ていて思ったのは、つぶやきの内容とともに、つぶやいた時間が記事にとりこめるため、作業ログとして非常に効果があるのではないか、ということでした。

8/例えば、140字のつぶやき10個程度で約1400字のアウトプットができます。その1400字のアウトプットが、つぶやきの時間とともに記録として残せることは文章を書く練習としても作業ログとしても役に立つツールだと思います。

9/これに加えて、個人的に面白さを感じているのは、tweetをアウトライン化することで「時間と空間を超えた思考の結びつき」というものが表現できる点です。

10/普段思いついた何気ない思考を140字程度で脈絡なくつぶやいていき、それを後にプロセス型でまとめていく。その際、つぶやいた日時が表示されること、そしてそれがアウトライン化できることで、時間も空間も混ぜ合わせた人間の思考のカタチというものが明確になる。

11/個人的には、マロ。さんのこの連携スクリプトは、プロセス型思考の本質を表現できるツールのように感じます。

12/ 11:47 プロセス型思考が、時間という動かない制約点(つぶやいた時間)と空間という動く自由な点(アウトライナーによる移動)という一見矛盾したものから成り立っている、そういう不思議なものだということを、このスクリプトが明確にしてくれるという気がしています。

12:08 そして、8/で書いた時間も空間も整然とされた直線形に進む思考のカタチについては、type traceがその作り方を見つけるヒントになるのではないか、と思っています。

12:10 type traceについては、以下のリンク先に詳細が書かれていますので是非ご覧下さい。文章を書くことに興味のある方には、とても示唆的な記事だと思います。

ドミニク・チェン 「読むことは書くこと Reading is Writing」 第14回「『熱量』と『学習』」 - DOTPLACE

12:13 ちなみに上記1/-12までは、Little Pork Chopで作成したつぶやきです。このLittle Pork Chopもtwitterとアウトラインの一体化への第一歩なのではないかと、行き先が非常に楽しみなプログラムの一つです。

関連リンク

文章教室第8回「まずはどんどん書きましょう」#2 - LawDesiGn

立体商標の使用証拠ー3条2項該当性

久しぶりに商標の話。
こちらのブログ「Legal Equivalents?」 を読んだ。 http://timberlakelaw.tumblr.com/post/84918424000/legal-equivalents

バドワイザーで有名なビール会社、Anheuser-Busen(アンハイザー・ブッシュ)による商標出願の話題。 出願商標はバドワイザーのビール缶の形状。
こちら↓。

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なお、この記事によると、2013年に、中央にくびれのある上記デザインにリニューアルされたとのこと。

ブログの中で目を引くのは、このビール缶の形状を商標登録する根拠として、バドワイザーのロゴ付きの缶が使用証拠として提出されたという点。
こちら↓がそのロゴ付き缶。

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なお、Anheuser-Busenが提出した意見書はこちら*1↓(右上のPDFボタンを押すと、読める文書がダウンロードできます)。

USPTO TSDR Case Viewer

本願は、今年5月6日に公報が発行されているため、ほぼ登録となる見込み。なので、本願が識別力を獲得している事実の認定にあたり、このロゴマーク付きの写真が使用証拠として機能したものと思われる。

しかし、この登録商標付きビール缶は、果たして使用による識別力獲得の証拠となり得るのだろうか。

仮に、当該ビール缶の形状を日本で商標登録する場合、出願態様は立体商標となるだろう。立体商標は、それが「商品」又は「商品の包装」の形状そのものを商標とするものであるために、通常の平面商標とは異なる登録要件が課される。

すなわち、ビール缶の形状を立体商標として出願した場合、当該商標が指定商品であるビールの包装の形状である以上、原則として本願に識別力は認められず(商標法3条1項3号)、登録要件を満たさない。例外的に、登録要件を満たすには、

  • ⑴ 使用により識別力を獲得したこと(3条2項)及び、

  • ⑵ 当該形状が商品の機能を確保するために必要不可欠なものではないこと(4条1項18号)

が必要である*2

この登録要件については、米国においても基本的に日本と同様である。
米国では、立体商標のような商品の外観に対する商標はtrade dress*3と呼ばれる。

trade dressの一つに含まれる商品形状についての商標登録は、事実上商品の製造販売自体を特定人に独占させるおそれがある。そこで、商品形状自体の商標登録の際はかかる不当な独占のおそれを排除する必要がある。 そのため、識別力の存在という要件に加えて、当該形状が物品の機能性からくる必然的な形状でない(non-functionality)という要件も課される。前者が上記⑴に、後者が上記⑵に該当する要件といえる*4

Anheuser-Busenは、上記⑴の使用による識別力獲得の証拠として、同社の登録商標付きビール缶を証拠として提出したものである*5

仮に日本で、この登録商標付きビール缶を使用証拠として提出しても、それはビール缶の立体形状自体が識別力を獲得した証拠としては機能しないはず。 このように、立体商標について使用証拠の証明力が問題になったものとして思い出されるのは「ひよ子」事件判決である。

被告であるひよ子側が提出した使用証拠は、ひよ子の立体形状自体が識別力を獲得した証拠とは認められなかった。その理由の一つは、ひよ子の形が常に「ひよ子」という文字商標とともに宣伝広告されていたから(第5 当裁判所の判断2(4)ア、(5)イ、サ等)。
「ひよ子」事件の経緯は次の通り。

  1. 出願商標は、東京土産としても有名なお菓子「ひよ子」の形状についての立体商標
  2. 当該立体商標は、3条2項該当性が認められ、登録に至った。
  3. 当該登録に対し、競合他社が無効審判を起こした。
  4. しかし、当該無効審判でも、3条2項の適用が認められ、無効不成立審決がなされた。
  5. そのため、これに対して上記競合他社が審決取消訴訟を提起した、という経緯。

結論は請求認容判決。つまり、無効不成立審決は取り消すとの判決である。
その主な理由の一つが、立体商標「ひよ子」の使用証拠のすべてに「ひよ子」の文字商標が付されており、「ひよ子」の形状それのみとして使用しているものがなかった点。 そのため、年間売上高110億円、日産50万個、宣伝広告費年間7億円〜8億円という識別力獲得を立証するに足りる強い証拠も、立体形状自体についての使用証拠とは認められなかった。

証明すべきは、商品形状自体がその形状により出所表示機能を有していることである。よって、商品形状に別の登録済商標を付して出願商標を使用している場合、その事実を立証しても、商品形状が識別力を獲得した証拠にはなり得ないはず。なぜなら、商品形状に別の登録済商標を付して使用しているのであれば、必ずしもその使用によって当該商品形状自体が出所表示機能を獲得したとはいえないから。

バドワイザー缶の場合も、消費者が当該ビールを購入する際に目印にしていたものは、ビール缶の形状ではなく、そのビール缶に付されていたバドワイザーマークであると考える方がむしろ自然。

上記ブログも、この点の疑問を指摘しているものと思われるため、識別力獲得を証明する使用証拠の要件をとりまく事情は、日本と似たものがあるようだ。

Oppositionなり、無効審判なり請求されないのかしら。ちょっと行方が気になるところ。

参考資料

*1:それにしても6頁目が4頁の前にきているあたり、アメリカっぽい。

*2:立体商標において特に問題となるもの。その他4条各号に該当しないこと等、商標一般の登録要件を具備すべきなのは勿論である。

*3:trade dressとは、商品やサービスの外観に対するブランドイメージに与えられる保護である。 例えば、米国では店舗の内装や雰囲気も要件を満たせばtrade dressとして商標登録が可能である。

*4:なお、3条2項による識別力を獲得してもなお、商品の機能を確保するために必要不可欠な形状といえるもの、つまり4条1項18号に該当する商品形状とは具体的に何が想定されるのか、というのは、目下悩み中のところ。

*5:なお、本願の指定商品は「ビール」であり「缶」ではない。よって、本願は商品の形状ではなく、商品の包装の形状についての出願である。日本法における立体商標は、商品の形状と商品の包装の形状とで登録要件を区別していない(3条1項3号、4条1項18号参照)。これに対して、米国では前者をproduct configuration、後者をproduct packagingとして区別し、商品の製造販売の不当な独占を防止する観点から、前者の登録要件を後者より厳しくしている。

toodledo的アウトライナーの妄想

  • toodledoで気に入ってる点の一つが、タスクについてるテキスト入力欄。ここには実に32,000字を入力できる。大半のタスクは文章という形でアウトプットを要求されることが多い。なので、このテキスト入力欄に下書きを書いてみた時もあった。タスクの管理とタスクの実行とが一元化する心地よさ。

  • でも、その心地よさも束の間、次第にテキストべたうちしかできない仕様に不満が出てきた。そもそも32,000字ものテキストを入力できる仕様ということは、toodledo自体がその中でのタスク実行というものをある程度考慮しているのではないか、と思ったりする(アウトライン化する機能を備えていないのに、32,000字もの情報を入力できるようになっている仕様というのはどういうことだろう。想定されている使い方が知りたい)。

  • ということで、toodledoのテキスト入力欄をアウトラインモードにするような感じで、タスクの管理とその実行とを一元化する方法をなんとなくずーっと考えていた。omni outlinerにテキストを打ちながら開始時刻と終了時刻を横に入力していけば似た感じになるかなー。

  • ネット上にomni系ソフトの便利なスクリプトがいくつかアップされている。そこに経過時間を計算してくれるものがあったのを思い出し探してみた。ところが、time tracking関係のスクリプトが載っていたであろうサイトは、見た限り全部404エラーになってしまっていた。残念。

  • それでもめげずにomni outlinerのインスペクタをごちゃごちゃ探してみたところ、列の書式設定の中に「持続期間」というちょっと目を引く項目があった! ぐぐったところ、子項目に入力した時間を合計したものを親項目に表示できるという素敵な機能だ。ところが、設定できる時間がどうも1時間単位っぽい。なので、task chuteのように細かい単位で実行記録を残していくことは難しい様子。「持続期間」は、プロジェクトの大まかなステップとその見積もり時間の把握までを想定している、ということのようだ。

  • 結果、今のところomni outlinerの中でタスクの管理とタスクの実行を一元化するには、列の属性を数値にした上で、かかった時間を分単位で入力していくしかなさそうでござる。

エクセル的アウトライナー論ー時系列を図化する

  • Fargoについて、以前のエントリの中で、Fargo独特の「画面の固さ」が感覚的にダメだと書いた。でも、先日、Tak.さんの「説明しながらアウトラインを書く」とそこで紹介されているDave Winerの動画を見て、またFago熱が再燃している。

  • Fargo哲学の一つに「出来事を時系列で記録していく」というものがある(たぶん。こちらをどうぞ)。そこで、試しに、自分のアウトライナーにもChronologyという項目を追加してみた。思いつきのメモや断片を、タイムスタンプをつけて時系列に並べてみる。

  • 初めは、日付ごとに項目を立ててメモを書いていたのだけど、発想の段階で階層化すると(たとえそれが一段階であっても)、メモの断片が埋もれてしまいそのまま死蔵するパターンが多かった。そこで、日付と時間はカラムという形でメモの横に付け加えることにして、発想の段階では、あえてテキストが平面的に表示されるようにしてみた。

  • そうすると、おー、並べ替えられるtwitterにちょっと近いじゃないかー!で、更に罫線も引いてみると、エクセルにもかなり近い。で、これを並び替えてみるとなかなか面白いのだ。断片のつなげ方というのがいくつもあるんだな、と改めて思う。他にも、覚えたいテキストを打ち込んでソートをかけたものを自分で並び替えられるか、とかやってみると、ゲーム感覚で暗記できたりもするぞ☺。

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  • エクセルとアウトライナーを合体させた形というのは、「アウトプットに最も近い絵」を画面上に再現してくれる。「図から文章への変換作業がつらいからここをどうにかしよう」というのが課題だったのだけど、これは一つの答えかもしれない。絵的な配置ではあるものの、一つ一つのノードは文章から成り立っているために、記憶とそのアウトプットの間の溝が埋めやすい。色もつけられるし☺*1 

  • ということに気づいたのは、実はここ2、3日のことだったりする。
    もともと事実の概要などの時系列順に出来事が書かれた文章を把握するのが苦手だった。その理由は、時系列で書かれた文章は階層化しにくいと思っていたから。アウトライナーに入力してみても段差がつけられない。これじゃテキストべたうちと同じなので、文章を「絵」的に把握できないんだもの。

  • …と思っていたんだけど、「民事法学入門」(伊藤茂夫著)に書かれていた因果関係についての次の記載を読んで、感覚が変わった(Fargoの件にしても、感覚なんて本当にあてにならない)。

AがBに机を10万円で売った。
2011年6月30日までに引き渡すことになっていたが、当日を経過しても、その引き渡しはなかった。「そのために」、
当日、転売先(代金12万円)に引き渡すことができなかった。「そのために」、
Cからその転売契約を解除された。「そのために」、
BはAの債務不履行によって、2万円の得ることができたはずの利益を失った。
そこで、BはAに対して、損害賠償として2万円の支払いを求める
というケースを考えてみよう。

ここで、上記の「そのために」という部分が因果関係を表現している記述である。ここを何らかの事実で置き換えて記述しようとしても不可能である。

先行する事実(Bに引き渡しがなかったこと)と、後行する事実(Bが引き渡せなかったこと)とは、それぞれ事実として記述することはできるが、「そのために」という部分は、上記の両事実の間に、原因・結果の関係があるかを、事実に関する法則(経験則)に照らして判断して、そうした原因・結果の関係があるといえると考えた場合に用いる表現である。すなわち、「そのために」という因果関係をあらわす記述は、事実ではなく法的判断(評価)の結果を表している記述であるといわなければならない*2

  • 時系列に並べられた事実というのは、必ずしもその前後に書かれた事実が、原因と結果の関係になるわけではない。でも、そういう意識でもう一度、教科書にある事実の概要を見てみると、「そのために」を加えられる部分が多いことにも気づく。「前の事実の存在が前提となって、後の事実が発生する」という「文と文の関係性」が、時系列の中にも見出せるなら、そこはアウトラインの出番。つまり、そこが段差をつける箇所、ということ。

  • アウトライン化した文章が記憶しやすいのは、この「文と文の関係性」が一目で感覚的に分かるからなんだろうな。アウトラインとは「接続詞」のカタチでもある。

  • 本当は、ロジックチャートを書けるアウトライナーが出来てくれたら言うことないんだけどな。既存のアウトライナーのように文章全体を縦に展開してくのではなくて、左から右という横方向へ展開していく。書き始めるのは、一番左のカラムから。それを組み合わせて、そこから新たに導き出せる主張を二番目のカラムに書く。そして、それを組み合わせて、そこから導き出せる主張を三番目のカラムに書く。これを続けていくうちに、主張がだんだんと収束していき、一番右のカラムに書く最後の一文が結論になる。

  • これを発表するときは、持ち時間に応じて話すカラムを選べばいい。右から左にいくにつれて話す内容は細かくなっていく。だから、一言でまとめたいときには、一番右のカラムに書かれた結論を言えばいい。かいつまんで要約したいときは、右から2番目か3番目あたりのカラムを選んで、そのカラムを縦に話していけばいい、とかね。

関連リンク

(記憶+想起→表現):ダイアグラム→アウトライナー→ドキュメント - LawDesiGn

*1:omni outlinerで、任意の項目にのみ背景に色をつける、ということはできないのかなー ( ˘•ω•˘ ).。oஇ

*2:「因果関係を表す記述は事実の記載ではない」という見解について、本書では「因果関係(原因結果の関係)の問題について、私見は、従来の普通の考え方とやや異なっている。こうした点についての学習が、法的思考の習得のために重要であると考えるので簡単に触れておく。」と記載されている。