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There is nothing to writing. All you do is to sit down at typewriter, and bleed. - Ernest Hemingway

口述筆記試案−音声入力によるtweetをつなげるとこから始めてみる

いつも更新を楽しみにしているブログの一つに、佐々木正悟さんのライフハック心理学があります。
基本、私はナマケモノを体現した人間なので、ライフハックのようにココロにモチベーションを注いでくれるものがなければ、何日でも何ヶ月でも横になって時間を過ごせるという、どうにも使い物になるようなならないような特技があります。ナマケモノから抜け出そうと少なからず焦るナマケモノである、というとこは、使いようによっては長所といえるかもしれません。

で、いつのまにか2014年も36分の1が過ぎたらしいこの時期に、2014年の抱負を書いておかなきゃ、とようやくお尻に火をつけて、このブログを書いてます。

去年から気になっていること、それは口述筆記の練習。
いつものごとくそのままになってしまってるので、今年は口述筆記の記事をもっと書くことを目標の一つにします。宣言しました。「口述筆記」とするとハードルが高いので、tweetのつぶやきを音声入力しそのつぶやきをつなげていこうと思います。早速昨日のつぶやきをアップしてみます。これは、ブログを書こう!と思うよりもだいぶラクでした。いい感じです。うん。

ひたすら怠けたい気分になったとき用に、タスクシュートに「回復」というモードを追加した。なんとか怠けゴコロをなだめすかした記録をこのモードにして残しておく。#tips

この怠けゴコロが生まれてから消えるまでの過程を記録して再現できるようになれば最高なんだけどなーヾ(⌒(•́ω•)。感情のプロセスの客観化。タスクシュートでなら、夢じゃなさそう。

感情のプロセスの取り出しか。こないだ久しぶりにDVDを借りた。「脳男」と「攻殻機動隊arise」。前者は生まれつき感情が欠落している男が主人公、後者は生まれつき身体が欠落している女が主人公。

草薙素子の出生が明かされてた。母親が妊娠中に事故にあって死亡。お腹にいた素子の救出が試みられるが、身体は助けられず、脳だけがかろうじて残る。そのため素子の身体は全部が擬態。

ってこういうことを考えていると、いつも有体物と無体物の違いにつながるんじゃないかっていう気がしてくる。

Business Law Journal2月号48頁に、無体の財貨である情報と有体物の差異を意識して書かれた記述として、中山信弘先生の「特許法」の一部が引用されてた。

「発明完成から特許登録に至るまでその内容は常に変化する可能性を有しており、また登録後に於いてすら訂正により変化する可能性がある。従って発明と登録の関係は、物権変動における原因事由の発生とその登記・登録とはかなり様相が異なっている。発明完成時には、

その後の道筋を読むことは妥当でなく、逆に、登録された特許から遡及的に完成された発明を見ることになろう。」(第2版158頁)。

企業の法務担当者の方がお勧めの本の1冊として中山先生の特許法を挙げているページなのだけど、この本の前記引用部分を読んでから、共同研究契約等で「発明をなしたら直ちに相手方に通知」といった表現を使用することを避けるようになったそう。

形の変わらない有体物と、常にその形が変わる可能性がある無体物かー。情報ってなんだべ、とか。

これを読み返しながら、芦田宏直先生(@jai_an)の女性試論を思い出しました。 「【第二版】女性とは何か−女性にとって男性とは何か」

このエントリも芦田先生の連続するつぶやきがそのままブログ記事としてアップされたものです。

【女性について(20)】だから、男性が女性を囲いたがるのは、女性の背後に他者(他の男性への柔軟性)を感じているから。女性の男性像が不安定だから。それが異性愛ダイナミクスを産んでいる。そして文学や芸術をも。

【女性について(21)】したがって、女性が恋愛をして、「私が選んだ人」というふうに主体転換し、無事(とりあえず)結婚へ至るということが、どんなに危うい偶然の上になり立っているか、ここに思いをはせない恋愛論はありえない。

【女性について(22)】男性は(極論を言えば)「好き、好き、好き」を押し通せばいいだけのことなのだから。女性が「好き、好き、好き」と押せば、男性は腰を引くばかりだ。

【女性について(23)】つまり、恋愛は、n個の主体(=個人の自由)による意志と能力によってなされるものではない。恋愛は、特に女性にとって〈出会い〉でしかない。〈恋愛〉ほど反近代的なものはない。だから主体性が強化されればされるほど、女性は恋愛から疎外される。少子化現象も、主体主義・自立主義的な近代化のなれの果てかも知れない。

草薙素子の身体が女性なのは、なぜなのだろうな。
身体の一部が機械な女性っていうのは、他にもナウシカクシャナだったり、幽遊白書の躯だったり。どのキャラクターも中性的に描かれていると思うけど、やっぱり女性なんだよね。 「ゴースト」というものは果たしてなんだろう。 それはたぶん「記憶」なのだろうと思うけど。

脳男の主人公、鈴木一郎は生まれつき「感情」が欠落している人間で、後の教育によって感情というものの存在を教えられ、感情に従った行動がどういうものかを知識として学び、行動する青年。彼にとっての感情とは、教え込まれた「記憶」の再現。

…って書いてたら、また見たくなってきたので、ごはんでも食べながら脳男みよー。 12歳以下は見ちゃダメ指定がある、ちょっと黒い映画ではあるけれど、鈴木一郎を演じる生田斗真松雪泰子を必死で助けようとするラストシーンは、とてもとても感動的でものすごく泣いた。 バックで流れてた音楽、早速買っちゃったよ。 いいよ、ほんと。いい。うん。最高。

芦田先生の女性試論は、人のカタチの外延がとても明確だ。
それこそが「近代」という意味なのじゃないかな、と思ったりもする。

脳男 (講談社文庫)

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