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There is nothing to writing. All you do is to sit down at typewriter, and bleed. - Ernest Hemingway

「極楽飯店」−人生はベルトコンベアー

極楽飯店

極楽飯店

おもしろい!
こんな楽しく、そして分かりやすく仏教的考え方を説明した本を他に知らない。
いろんなことを考えた本。

閻魔によって地獄に連れてこられた男たちが、そこで世の中の仕組みを学び、悟りを開いていくまでの過程が軽妙なタッチで書かれています。

「天国にあって地獄にないもの、地獄にあって天国にないもの」
皆さんなら、何を思い浮かべますか。

心理学の根本は仏教思想にある、という考え方があります。
「唯識と論理療法」という本からちょっと引用。
個人的には、仏教を初めとする宗教も心理学もココロをラクにするものなので、「仏教心理学」というジャンルはとてもしっくりきます*1

ゴータマ・ブッダの仏教を原点的に理解しながら、あらゆる仏教に共通する基盤を確認しようとすると、いわゆる「通仏教」的に見れば、ブッダの教えの正統的な発展として、空思想があり、唯識思想があるといえるのです。そして、その唯識思想がまさに心理学になっているわけです。ブッダ以来の仏教の流れのもっとも正統的で、しかも心理学的な理論としては、唯識があるといえるのではないかということです。

p19-20より

「唯識」とは、大乗仏教をより詳細な学問体系として発展させたもの。
つまり、おおざっぱに言っちゃうと「唯識」とは、仏教の基本となる考え方。
では、仏教の基本概念とは何かというと「縁起」、「無常」、「無我」、そして、これらを全部まとめたものが「空」。
しかし、この「空」という概念はともすると「虚無主義」と混同されがちだったので、この誤解を解消すべく大乗仏教をより詳細な教学にしたものが「唯識」。
えっと、仏教の専門家の方からすると怒り沸騰の説明だとは思うのだけども、ごくごく簡単にまとめるとこういうことだと思います。

つまり、全ての苦しみは他と切り離された「自分」というものをつくるから生まれるもので、その「自分」という意識さえなくせば、あらゆる苦しみから解放される。なぜなら、その分離意識からくる不安定感、安心感の欠如こそが、すべての苦しみの大元だから。
あらゆる存在は関係の中でのみ存在し(縁起)、その関係が変われば存在自体の性質も変化する(無常)、だから存在の一つである自分・自我も固定されたものとしては存在せず(無我)、「自分」を実体として考えること自体が人間の幻想だ、ということ*2

そして、その「自我」を作り出す一番の原因は「言葉」にあるとされます。
言葉によっていろんなものに名前がつけられる。こうした名付けが「分離という錯覚」を生み、人間同士を隔ててしまう。それが人間の対立のもととなっている。人はみな無償の愛(=神のこととされます)と常につながっていて、全ての人は愛という一つに「統合」されている。なのに、人間自身が、わざわざこの統合から分離することによって、自分自身を苦しめている、という考え方です*3

この「縁起、無常、無我」について、「極楽飯店」では、こんな端的な表現でまとめられています。

「実はね、人間がどれほど苦しんでいようと神は何もしてはくれない。それらが現実でないことを知っているからね。神々から見たら、あらゆることが『大丈夫、大丈夫』ってことになる。」

p261より引用

えっと、しかしですね、つまりですね、
言葉をなくせ、自我をなくせ、そうすれば苦しみから解放されるぞ、ということで、要は人間やめれば苦しみから解放されるぞ、と言ってるだけなのであってですね、結局死ななきゃだめってことじゃんみたいなですね、そういうことなのですね。 たしかに、これこそ世の中の真実。確かに。しかし、わたしたちはよくも悪くも人間なのであってですね、苦しみと引き換えに手に入れた「言葉」によって考えたり、工夫したり、モノごとをこねくりまわしたり、カタチをかえてみたり、そういう能力を与えられたわけです。

「唯識と論理療法」では、この「唯識」という一種諦めの境地、を理解したうえで、それでもなおラクに生きるための手段として「論理療法」をとりあげます。
論理療法と仏教との統合を試みることで、仏教を日常に生かせる思想としてつくりなおす、という感じでしょうか。
「個」の意志と理性の力を寄る辺とする論理療法によって、「個」を消失させる仏教が初めて実践可能になる、というのはおもしろいなーと思う。 西洋と東洋の融合というか、接点というか、その境界はグラデーションのイメージ。

唯識を理解し生活に生かせるまでになる、その途中の「方便」として、論理療法も採用していこうということです。論理療法ですべてを解決しようとするのではなく、仏教的にはたどり着くべき目標はまだ先にあるという姿勢で使っていくと、非常に現代的な、説得性のある、有効性のある仏教心理学というものが浮かび上がってくると思います。

p20より引用

論理療法」とは認知療法の一つ。

論理療法 - Wikipedia

悲しいことやつらいことがあったときに、その感情を少しでも和らげ自分をラクにさせるために、感情を引き起こしている原因に焦点をあてるもの。
何かつらいことがおこった、そういうときでも起こってしまった出来事をなかったことにすることはできません。泣くことは大事。でも、いつまでも感情の中に自分を沈み込ませていても、あまりラクになれそうにもない。

論理療法では、しんどい感情を引き起こしているものは「出来事」ではなく、それに対する「自分の考え方」だとします。
出来事から感情が引き起こされるまでの間にある「自分が知らず知らずのうちに抱いてしまっている無意識の信念」にまず気づくこと、それは自分の考え方なのだから、自分の意志によって変えることができる。考え方さえ変化させることができれば、そこから引き起こされる感情も自滅的なものではなくなる、というしくみ。
つまりですね、悲しい、つらい、それは単に自分自身がそれを「選んでいる」結果にすぎないと考えるわけなのです。
これは、厳しく徹底的な、まさに超絶破壊的セラピーともいえるもの。
自分の無意識の信念を探り出して、それを徹底的に叩き壊して、新たなモノの見方を獲得しよう、そういうものです。

このセラピーには賛否両論あるとは思います。でも、これを獲得するまでの過程で、人には「意志」という能力がある、ということに気づかせてくれる。
人の能力や努力というものの力ってすごい、人ってすごいと純粋に感じることができます。

論理療法についてはこちらがおすすめ。

性格は変えられない、それでも人生は変えられる―エリス博士のセルフ・セラピー

性格は変えられない、それでも人生は変えられる―エリス博士のセルフ・セラピー

↑なんかさー、タイトルが買う気にならんよねーって思ったアナタ、ともだちになりましょう。いい本なのに、タイトルで食わず嫌いしちゃってるとか、結構あると思うんだよね。って、私だけかも?
こちらもあります。こっちは、上の「唯識と論理療法」の著者による、より入門的な本です。

ちなみに、「極楽飯店」と同じ著者が書いた「あの世に聞いた、この世の仕組み」という本もおすすめ。 ほんと目からウロコ。これは論理療法のような努力なくして、新たなモノの見方、を知ることができます。

…著者名には、ふれないように、ふふ

あの世に聞いた、この世の仕組み

あの世に聞いた、この世の仕組み

もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

てか、2もでてるんだー、知らなかった これは読みたい

「天国にあって地獄にないもの、地獄にあって天国にないもの」
皆さんなら、何を思い浮かべますか。


はー、じんせいべるとこんべやー






*1:というと、それぞれの「専門家」からお叱りを受けるのでしょうね。それこそが「分離」の壁。個人的には「複雑系」がもっと浸透すれば、それはよりステキな社会になっていくんじゃないかと思ってるのだけど。

*2:つまり、求める究極のカタチは「シドイゾ」ということでよろしいのでしょうか。

*3:神の怒りに触れ、世界は異なる言語によって隔てられた、という映画「BABEL」のコピーを思い出します。エスペラント語。これについても何か書きたい。神への挑戦。