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There is nothing to writing. All you do is to sit down at typewriter, and bleed. - Ernest Hemingway

「type trace」による読み手と書き手の創造性の変化

1/ 12:32 2014/6/15 こちらの記事にtype traceというアプリが紹介されています。詳細は、記事の動画をご参照下さい。実際にtype traceを使用した執筆の様子を見ることができます。

"Lie" (inspired by Saskia Olde Wolbers) [TypeTrace] on Vimeo

2/ これは、コラムを貫くテーマでもある「書き手と読み手の関係性」の変化、ひいては「創作概念」の変化を感じられる動画です。type trace読書は、書き手の書くプロセスに読み手が立ち会いながら本が読める点で、一人の読書の時間に「他者の時間性」を持ち込んだ新しい読書体験です*1。時間的にも空間的にも線形に流れる思考を感じつつ、時に今執筆している場所とは異なる場所へ思考が飛んでいく、その様子を読者が間近に体験することができる。

3/ これは、推敲の上に出来上がったプロダクトを順に読んでいく従来の読書とは明らかに異なる。推敲されてない書き手の飛躍する生の思考を追いかける読書である。

4/ その意味で、type traceが指し示す「読書」とは、ストーリーの流れ全体を一から楽しむという既存の「読書」の概念を大きく変化させるものだ。そこでは書き手と読み手がさながら共同執筆する様子が呈される。type traceでは読者は単なる文章の受け手ではいられない。

5/ というのも「推敲されてない生の思考を追いかける読書」とは、出来上がった全体のストーリーを受動できない代わりに、読み手には表現を受動する以上の存在であることが求められるからだ。むしろそうでなければ、type trace読書の本来の効果は発揮できない。type trace読書における「読み手」は、表現の受け手に留まらない書き手のミニ編集者的存在になっていく可能性がある。そこではもはや単なる消費者ではない。

6/ type trace読書の特徴として、直前に書かれた文章へフォーカスする力の大きさが従来の読書とは全く異なる点が挙げられる。そのためtype traceで書かれる文を見ていると、「文章を書くこと」とは直前に書いた文章に対する反応の連鎖なのだという「書くこと」の基本を改めて認識することができる。

7/ そして、それは同時に「文章を読むこと」も目の前にある書かれた一文に対して反応していくことから始まることを示す。この書かれた一文に対して一つ一つ反応していく作業は「アウトライナー的読書」に通じるものがある。両者は地道な点で共通するように思うが、大きく違うのはそのフィードバックの有無とスピード。

8/ tape traceを使って文章を書いてみると、録画されているという緊張感が早く筆を進めなければならないというプレッシャーにつながる。これは書き手にとって、筆を早く進める練習には使えるメリットがある。また、受け手にとっても、文字を負うスピード、前文と後文とのつながりを早く認識しようとせざるを得なくなる点で速読的なメリットが生まれる。

9/ 何よりtype traceで書くことは、書き手にとっても常に自分を含めた読者を意識せざるを得ない点で、通常の執筆よりcommunicativeになるのではないか。

10/ そして、読者にとっても、(自分自身を含め)フィードバックを前提としたツールを使うことは読者の「書くこと」に対する意識を下げる効果も期待できる。この点の意識改革が「Reading is Writing」への第一歩につながるように感じる。

11/ 冒頭に紹介したコラムの中で、著者のドミニク・チェンさんもtype traceによる執筆の変化について、このように書かれている。

12/ 『この執筆メソッドを通して得られた発見とは、第一に普段とは書かれる内容や構造が変化したことです。具体的には「しかし」「だが」といった逆接の表現が増え、直前に書いたことへの反論が多い文章になりました。』

13/ 直前に書いた命題の一つひとつにフォーカスし、その命題に対する反論を積み上げていく。「本を読むこと」とは本来こういう地道な作業なのだ、ということを実感させてくれるtype traceは、幼稚園や小学校低学年の国語の授業としても役に立つのではないだろうか。「書くこと、読むこと」とは「その一文に対し、一つ一つ反応することで、論理を積み上げる」ということを伝えること、個人的には、これが国語で教えるべき内容の本質であると考えたりもする(なにより、type traceの視覚効果は子供たちにとっても非常に楽しい体験なのではないだろうか)。

14/ 現代文の試験というと、主として長い評論文から重要な点を要約して把握することの重要性が強調されている気がします。もちろん、大量の文章について、その重要な部分のみを短時間にスキャンする力も重要ではあります。

15/ 13:01 2014/6/15 しかし、幼稚園、小学生のうちから(特に受験予備校等で)、そのような読み方ばかりを訓練することは、文章を精読するという読解力の基礎の基礎をおろそかにすることにならないか懸念するところではあります。

8:40 ちなみに「Reading is Writing 読むことは書くこと」第15回「読み手が書き手になる瞬間」も好きなコラムです。
私は、このコラムで述べられている「読み手が書き手になる瞬間」というのは、書かれた静的な文章が読み手の中で再構成される過程で動的なものへと変化し、それが書き手へフィードバックされる量が増えることで「書き手と読み手の一体的な感覚」が生まれる。それが「表現」の醍醐味なのではないか、という趣旨に理解しました。この書き手と読み手の創造性のサイクルとでもいうべきものが「クリエイティブコモンズ」が目指すところでもあるように感じます*2

8:05 2014/06/17時点における「Reading is Writing 読むことは書くこと」の最新コラムは、第16回「読み手のプロセス」というタイトルです。

8:11 このコラムの最後には、このように書かれています。

次回からは、書き手のプロセスが見える一方向のTypeTraceから、読み手のプロセスをレスポンスとして返すことのできるTypeTraceの在り方をブレスト的に考えていきたいと思います。

ものすごく楽しみです☺!

*1:最近の読書の流れとして、例えばkindle paper whiteのようなデバイスを使えば、ハイライト機能の共有により多数の人間と感想をシェアすることができる。ネットワークがもたらす時間と空間の超越という技術に、書き手を巻き込むのがtype trace読書といえるかもしれない。

*2:私個人的な考え方としては、クリエイティブコモンズというよりも、より「共同制作」面に重視したコピーレフト的態様に興味があるところではあります。