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There is nothing to writing. All you do is to sit down at typewriter, and bleed. - Ernest Hemingway

マンダラートの「哲学」性-de(否定)+sein(存在)

デザインとは何か ― デザインの哲学的意味論について

http://www.ashida.info/blog/2010/09/post_396.html

芦田宏直先生(@jai_an)の上記講義を見て、以前から頭の中にくすぶっていたマンダラートのあのデザインと哲学との関係にひとつの答えを見つけた。
マンダラートというのは、これ。9個のセルに好きな言葉を並べていくことで発想を支援する思考補助アプリ。


マンダラートのセル上に横に並んだ言葉というのは何らかの共通項がある。ゆえに上下の階層に分類できる。その分類が一般的なものじゃなくても少なくとも私自身から出た言葉ならば、そこに「私」という共通項がある。だから中心セルには「私」と書いておけばいい。その私の内面をもう少し掘り下げれば自分が世界のどのカテゴリーに属するのか、というものが見えてくる。

「私」をより上位のカテゴリーの中に位置づけることができる。

マンダラートが哲学的だというのは、まさにここ。この自己を相対化できるという点に尽きる。
自分自身をセルに乗せ分解するとともに、自分自身の上位概念を常に考えることができるカタチ。デザイナーの今泉さんは、はじめてマンダラートを使う人に向けて「自分」をまずセルに乗せてみることを提案しているが、これはまさに哲学への第一歩。既存概念の相対化、現状認識の破壊と再構築。これが哲学を学ぶ意義である。

哲学は世界のあらゆる学問体系の根底に流れる壮大な知識。学問という名のマンダラの最上位に位置するものが哲学であり、その他のすべての学問はその下に分類される。つまり、あらゆる学問が哲学と共通項を持っている。だから、哲学という学問体系を手のひらに収めることができるマンダラートのカタチというものは、世界のあらゆる学問をその手中に収めることを可能にする。そこに底知れない恐ろしさを感じるデザインなのだ。

整然と秩序だてて並べられるセルとマンダラ。
にも関わらず、この静かなカタチが感じさせる暴力的なもの。

世界というもののカタチを知ってしまった代償?
ぷは。はい、勉強します。

「学問とは、共通点と相違点に基づく知識のカテゴライズであり、その目的は現状の破壊と再構築である。」