スラムドッグ$ミリオネア
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スラムドッグミリオネア、みました。
以下、ストーリーの内容に関する記載があります。
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最後から2番目の問題、fifty-fiftyの後、ジャマールは司会者から教えられたBとは違うDを選択する。
正解はジャマールの選んだDだった。
正解はD!おめでとう!!!ってシーンを見て、私は、この司会者は正解を教えたんだと思った。大金を手にする資格のある者は、最後は人に頼るんじゃなくて自分の力で手にする、そういうことを教えてるんだと思った。 本当に尊敬できる人や人をひっぱりあげる人は、手助けをするのみ、そういうことなんだと思った。
あぁ、やっぱり。
「かつてスラムからこの番組で大金を勝ち取った者が一人だけいる。俺だ。勝利は目前だ。」
司会者の言った言葉は本当だったんだ。じーん、、としたのに
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ところが、司会者は本当に単に不正解を教えただけだった。
司会者から解答はBだと教えられたにも関わらず、ジャマールはどうしてDを選んだんだろう。 答えを知らないのに。 何を見抜いていたんだろう。
結局、ジャマールはラティカと幸せになる。 まだ救いがある。 果たしてあれが救いなのかは、よくわからないけど。
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サリームは?
サリームがなぜ死ななきゃいけない?
武器を持って闘ったのに、自分の境遇から逃れようと必死で銃をもって闘ったのに、 サリームがいなきゃ、ジャマールとラティカはあのままだったかもしれないのに、
銃の力で境遇も変えられる、それを知ったサリームに悪い大人がつけこんで、権力を与えて使い倒す。
結局、最後にラティカがジャマールの元に戻れるのも、サリームの犠牲があってこそ。 最初から最後まで、2人の幸せはサリームがいなきゃ成り立たないのに。
ヒーローなんて、常に悪役がいなきゃ存在できない。
どちらもどちらがいなければ成り立たないのに、片方が救われて、片方は救われない?
そんなわけがないだろう。
なんで「生きてること」が救いだって、そんなどうでもいい観念が蔓延してるんだろう。
「生きてること」が救いなら、「死ぬこと」だってまた救いのはずだ。
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なんで3人が犠牲になる?
金のない悲劇。
信念や理想は、それぞれにある。
それは、「信念」や「理想」なんて、そんな概念は存在しないということ。
そういうものが、一番怖い。
そんなことを再認識した映画でした。
アカデミー賞さいこー(泣
ずびー はなみず