Communicative Design
1/17 22:11 9×9マスの展開を見てうっとりしている。1時間は眺めていられるだろう。個人的には絵画を見ているそういうイメージが湧いてくるから不思議だ。
2/17 デザインに興味を持ち知財をやろうと思ったのが、Mandal-artの9×9マス展開を見た時。その時の感動は大げさではなく今も忘れられない。デザインというものがこんなにも心を踊らせたり、心を吸い込まれたりするようなものなのか、とその時初めて感じた。
3/17 これは、絵を鑑賞しに美術館へ行く人の心理と似たものなのではないのかなぁ(私自身は絵画にはあまり関心が持てないのだけど)。
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4/17 この9×9マスと同時に、私に知財への道を開かせてくれたものがもう一つある。それは「Q.」というコミュニケーションロボットだ。それは2005年前後。当時はAIBOが大流行していた年だった。
5/17 実は、ソニーはそのAIBOの大ヒットの影で「Q.」という名のコミュニケーションロボットの開発を同時に行っていた。
6/17 残念ながら両者の商業的成果の差は歴然としている。AIBOを知っている人は少なくないだろうが、同じコミュニケーションロボットである「Q.」の存在を知っている人がどれだけいるだろう。
こちらに「Q.」の詳しい説明がされている。
7/17 「Q.」はその名の通り、球形をしたロボットだ。AIBOの機嫌(あえてそう呼ぶことにする)が光の反応で分かるように、「Q.」は気分(あえてそう呼ぶことにする)によって、球体の色を変える。
8/17 プロダクトデザインの手法には、既存のものの類推によるアナロジカルデザインと、既存のものをより上位概念化するメタフィジカルデザインの2種類がある。
9/17 AIBOは前者の典型で、Q.は後者の典型だ。ビジネスという面からみると、どちらのデザインが一般に受け入れられやすいか火を見るより明らかだった。しかし、この「Q.」を見て、私はプロダクトデザインの中に「自分」を解決する糸口があるんじゃないかと、そう思ったのを覚えている。
10/17 「Q.」は、犬のAIBOのように分かりやすい具現化した形を持つわけではない。「Q.」はただの球形のボールにすぎない。それでも両者は、その共通する「人間のコミュニケーション」への考え方の差が歴然と反映されている。
11/17 人が、新しい対象を受け入れる時の受け入れ方、有り体に言えば、新しい人とのコミュニケーションを成立させる際には「自分が理解可能な形を相手に求める」、それが成立の第一歩なのだということが、AIBOと「Q.」の需要の差からは感じられる。
12/17 目の前の対象が自分の理解可能な範疇にあるのか、それともそうではないのか。コミュニケーションの始まりは大抵いつもそこにある。そして、それを判断する中心的主体は常に自分自身にあり相手にはない。意識的にせよ無意識的にせよ、お互いが常にそう思っている
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13/17 正直、「Q.」は可愛くないのだ。そっけない球形だから分かりにくい。AIBOとは違って抽象的な形というものは理解が難しい。こちらから近づいていかない限り、そこに意味を持たせることはできないのが抽象性の本質だ。
14/17 画面の左半分に表示させているまろさんの9×9マスを見ながら、この9×9マスに「Q.」のコンセプトと同じものを感じている。Mandal-artの使いこなしの難しさは、そのまま人と対象との関係を示しているものなのだと感じる。
15/17 ちなみに「Q.」の名前は、「Qasi-stable」から来ているそうだ。安定と不安定を行ったり来たりするコミュニケーションロボット。それが「Q.」。
16/17 22:36 「Q.」は、AIBOよりもずっとコミュニケーションの本質を捉えているなぁと感じる。自分にとって「可愛くない」ものはスルーする、そういう感じがなんとなく、ね。
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