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There is nothing to writing. All you do is to sit down at typewriter, and bleed. - Ernest Hemingway

映画「イノセンス」の理論的説明を試みようとしたらば、経済に行き着いたという話

映画イノセンスの主人公、草薙素子の出生についてのおしゃべり。

映画イノセンスの予告編はこちら。

映画『イノセンス』劇場本予告 - "INNOCENCE" Theater Trailer - YouTube

「目をつむっている人に、あるのは意識だけ。」
これは哲学者でいうとバークリ(1685〜1753)の考え。

ジョージ・バークリー - Wikipedia

バークリは代表的な三人のイギリス経験論者の一人で、残りの二人はロックとヒューム。 時系列に並べると、ロック→バークリ→ヒュームの順。

経験論とは、理性よりも感覚を優位に考える見解で、それまでの大陸合理主義(デカルトパスカルスピノザライプニッツ等)、要は人間の理性を絶対的に信頼する考えに対するアンチテーゼとして出てきたもの。
初代イギリス経験論者であるロックは、人間の理性や知性を絶対視する流れに対し、人間の素朴な感覚というものも無視しちゃだめだよ、ということで、経験主義と大陸合理主義との調和を図った人でもある。理性なんて確かなものがあるかどうか、それはさておくとして、とりあえず理性も感覚も大事なんじゃない?、という二つの間をとった人です。

ちなみに、冒頭の映画イノセンスは、大陸合理主義者の祖であるデカルトが主張した心身二元論、そこから派生した「人間機械論」を一つのベースにつくられています。

で、イギリス経験論の話に戻ると、
ロックに続いて出てきた冒頭のバークリは、ロックよりももっと感覚を重視する。

「存在することは、知覚されることである。」

この言葉で有名な人。
彼は実体的な物質の存在というものを否定する。
だって、目を閉じちゃえば見えないのに、なんでそんなにも自分の目をあてにできるの?自分の目に見えさえすれば、なんでそれが形として存在してるといえるの?


「自分の目に見えさえすれば、なぜそれが存在していると言えるのか?」
これは、脳科学の見地からはよく分かる疑問だと思う。

でも、バークリは、たとえ目をつぶって何も見えない状態でもそれを認識する目に見えない自分自身の精神の存在は肯定する(この点で、次のヒュームほど徹底的に感覚のみを重視しているわけじゃない)。 そして、経験論に立ちながらも目に見えない精神・魂を認識できる理由を神の存在に求める。

って、理論的に説明されるとよく分からないけど、冒頭に引用したバークリのwikiにもある通り、

彼は聖職者であり、宗教的見地から魂の不滅と神の存在を結びつける必要があった。また、彼は物質を実体であると認めることは唯物論無神論に結びつくと考えたのである。

こういうほんとの事情が分かれば、バークリの見解は非常に理解しやすい。

で、この経験論を更に突き詰めまくり、「人間が認識できないものは全て存在しない」、そう言ったのがバークリに続くヒューム
だって目に見えないじゃん、という理由で、ヒュームは因果関係や推論といったそれまでの物理学等自然科学の発展を基礎づけてきた理論を全て否定します。

これはまた随分と極端な話だなぁと思うけれども、実はヒュームのこの徹底した経験論(懐疑論)が「人間本性論」という著作を生み、アダムスミスと並ぶ経済学の元となる思想を確立することになります。

不思議だなー、
科学の理論を全否定するおよそ知性というものからは離れたように見える発想から、経済学が生まれたのだ。 まさに人間そのままが経済であって、でもそれが今社会を動かしているシステム。人間本性論。

以前こちらにも書いた「社会契約論−ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ」(重田園江著)。

この本では、社会契約論の説明のために、社会契約論を否定するヒュームをとりあげます。 ヒュームは上記のような徹底した経験論をベースに、契約という概念を国家形成過程の説明として用いることを否定します。彼は経験を重視するので「社会契約なんてものを第三者と結んだ史実が過去にあるのか、ないだろう、そんなものはないんだ!」と考えるわけです。

ヒュームは「契約」の代わりに「コンヴェンション」(人間共通の利益に気づくこと)という概念で秩序形成過程を説明する。 ホッブズの社会契約論の背景にある「万人の万人のための闘争」状態では明示的な「契約」という形で相互の安全を保障する理屈が必要だった。これに対して、ヒュームのコンヴェンションの背景には、既に「相互に共通の利益を観念できるだけの平和状態」がある。この相互に共通した利益をお互いに追及する、というコンベンションの考えが後の経済学のもとになっていく。

両者の考えの違いには当時の社会情勢が反映されている。
ホッブズの生きた1588年〜1679年というのは、宗教戦争の時代。

宗教戦争 - Wikipedia

宗教改革 - Wikipedia

これに対して、ヒュームの生きた1711年〜1776年は、宗教戦争は終わり啓蒙主義が広がる時代。

18世紀 - Wikipedia

ホッブズとヒュームって人間の集団から秩序が形成される過程を正反対の方法で説明してるわけだ。
ホッブズの「リヴァイアサン」、これ私大好きなんだけど、経済がさっぱり分からないっていうその理由がようやく分かった気がする(笑)。 というわけで、これをちょっと立ち読みしてくるぞー。

高校生のための経済学入門 (ちくま新書)

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