竜血樹
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ソコトラ(イエメン) ※真っ赤な樹液を出す不思議な木「竜血 樹(リュウケツジュ)」 pic.twitter.com/7HNrHnn4wr
— 世界の絶景 (@utk_fukei) 2014, 2月 25
この写真、「幽遊白書」っていう漫画に出てくる魔界の入り口にそっくり。
ジャンプに1990年から1994年にかけて連載された漫画。
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この魔界の入り口は、仙水と幽助が最後にバトルした場所だよね。
樹液が真っ赤って、血が流れている木みたいね。そういうのちゃんとモチーフとして使われているんだ。
コミック全巻持ってたんだけど、もう売ってしまった。 今思い出して興味深いなーと思うのは、仙水が霊界探偵に選ばれてから人間を破滅させようとするまでの過程、それから樹との関係。
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確か、仙水は正義感あふれる高校生だったのよね、一生懸命人間を襲う妖怪を倒してたのよ、「人間を守るんだ、僕は!」的なとても純粋な高校生だった。
ところが、あるとき人間の裏社会を見ちゃうのよね、人間が人間を弄んで殺すみたいな、そういう姿。それで、仙水はその場にいた人間をみんな殺してしまう。その後姿を消すんじゃなかったかな、んで、幽助の前に再登場してきたときには、仲間集めて人間全部を殺そうとしてた、と。
今考えるとお粗末ねー
単に弱いあまちゃんだ。
同時に「正義感」のような絶対的な思想を子供に持たせることがどんなに怖いことか、それを感じずにはいられない。
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それよりも、樹が気になる。
樹は確かねー、堕ちてく仙水をただ側で見守りたかった、そんな感じのことを言ってたよね。
それで、最後、仙水の死体は誰にも渡さないって言って二人で亜空間に消えてくのよ。
あの心理は何なんだろう。
樹は中性的だけど、男だよね。
でも、仙水に対する気持ちって恋愛感情に見えるよね。樹がどうやって生きてきたのか興味がある。
好きな相手と一緒に堕落していくのを楽しんでしまう、って男女関係でも似た感じのもの、たくさんあるよね。太宰とか。
厭世的になる気持ちは分かる。
でも、その気持ちを自分の中で昇華させられず他人を使って解消しようとする人間はどうしようもない、というのが今の感想。
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今読んでる本のひとつがファスト&スロー。
- 作者: ダニエルカーネマン,村井章子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/12/28
- メディア: Kindle版
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私たちは、人生で信じていることのうち最も重要ないくつかについては、何の証拠も持ち合わせていない。ただ愛する人や信頼する人がそう信じている、ということだけが拠りどころになっている。自信を持つことはたしかに大切ではあるが、私たちが知っていることがいかに少ないかを考えたら、自分の意見に自信を持つなど言語道断と言わねばならない。
p304より引用
これ、結論はその通りだと思う。
でも、経済寄りの心理学者の論理なのかな、と思った。
ただ愛する人や信頼する人がそう信じている、それこそが最後の拠りどころ。
これ以上、確実な証拠が一体どこにあるだろうか。
そう思う。
のだめカンタービレ発→ベートーヴェンピアノソナタ第32番着
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- 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント
- 発売日: 2007/05/25
- メディア: DVD
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これもまた借りて見ました。 はー、やっぱおもしろい。のだめが大好き。
まだ第3話までしか見てないのだけど、前見たときにはただの変態エロじじいで終わってたシュトレーゼマンに目が釘付けにされてるところです。
このジジイはやっぱり深い。前は「不快」それだけだったんだけど、その不快さの目的、みたいなものに目がいくようになった。
シュトレーゼマンの千秋の育て方、それがとても面白い。
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学校における先生と生徒の関係を考えさせられる。
この第1話と第2話を見て思うのは、たとえ大学生であっても、生徒は簡単に「先生」によってコントロールされてしまうのだな、ということ。
それはたぶん年齢によらないね、いくつになっても帰属する組織にコントロールされるのが人間なんだろな。でも、それが自分の目から透けてみえないところに帰属したい。それが信頼関係ってことかな、と個人的には思う。
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って書きながら、「評論家」の意味を考える。
好き勝手言えるな、と。
働くことから一端休ませてもらえている、今の環境にただただ感謝したい。
一歩現場から引いてれば、そりゃなんだって物は見えるだろう。
現場にいながら、それでもいろんな視点から物を考えることができる、それが本当の強さだし賢さなんだろうな。
ただ、それって一人でどこまで可能なんだろう。
人がたくさんいる意味って「役割分担」にあるんだしなーって、のだめを見ながら教育や組織の話をぽんやり考えたりする。
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のだめには、たくさんの楽器が出てくるのも楽しい。
私はピアノを習った経験が少しあるだけだけど、いろんな楽器の中でのピアノの位置づけを考えるのもおもしろいな
練習の基本は一人で先生と1:1。
でも、連弾もあり、
オーケストラとの恊働もある。
楽器にしろ、本にしろ、たくさんあるものの位置や順番を入れ替えてみることで、いろんな自分がいるんだなーと思えてくる。
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とにかくこのドラマは、みんな一生懸命で、かわいいのだ
のだめのサントラが欲しい。
クラシック好きだから、曲名とか覚えたいんだけど、どうもねー
数字ばっか並んでるから覚えられない。
好きな曲の一つは、のだめが衛藤先生の前で弾くショパンのエチュード。 のだめの弾き方が面白いんだけど、ストーリーの手前、色がつきすぎてると思うので、もっと正統なもののリンクです。
Chopin Etude Op 10 No.4 HQ - YouTube
↑これは、No.4だけど↓のNo.1の方がもっといいな。
Chopin Etude Op10 No.1 HQ - YouTube
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エチュードについてのwikiはこちら。
練習曲作品10-12 (ショパン) - Wikipedia
この練習曲は11月蜂起における1831年のロシアによるワルシャワ侵攻にほぼ同じくして公表された。…
この曲は同じ調で書かれたベートーヴェンのピアノソナタ第32番を暗示させる。この曲の77-81小節と、ショパンが大いに感嘆したことで知られているベートーヴェンのピアノソナタ第32番第一楽章150-152小節が類似している。
似ているのはベートーヴェンのピアノソナタ第32番の第1楽章みたいだけど、第2楽章もいいなー、これすきだなー
Beethoven ベートーヴェン ピアノソナタ 第32番 op.111 第2楽章(2/2) エリック・ハイドシェック - YouTube
あー、でもこれも第2楽章の後半部分なのね、ながーいなー(笑)
あともうちょっといい音で聴ければもっといいな
ドラマ「ラスト・フレンズ」とリバタリアニズム
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- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2008/10/15
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2008年春にやってたドラマ。久しぶりに見ました。 オープニングの映像も、宇多田ヒカルの主題歌も、ストーリーも大好きでした。
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放映当時は、上野樹里がただただカッコ良くてほぼそれだけを見てたような気がする(笑)。 でも、今回見直してみて錦戸亮演じる及川宗佑に興味が惹かれました。 及川宗佑の役所について、wikiのまとめはこんな感じ。
及川 宗佑〈24〉
演- 錦戸亮(関ジャニ∞)
区役所の児童福祉課で働く美知留の恋人。
幼少期に母親に捨てられ、その後親戚中をたらい回しにされた過去を持つ。頭脳明晰で誰に対しても優しく接する好青年。しかしその裏では、あまりにも美知留を思うがゆえでもある強い執着心と独占欲から、常に美知留を監視して行動を束縛し、自分の思いどおりにならない状況になると些細なことから美知留に対しDVを受けさせるようになる。
美知留の心身に受けた傷を見た瑠可やタケルたちがシェアハウスに匿ったことで美知留が自分の元からいなくなると、そのことを逆恨みして彼女に関わった人間(特に瑠可やシェアハウスの住人)を敵視し、美知留に対してはストーカーと化している。
再び美知留が自分の元に戻るように、美知留の母・千夏を利用したり、シェアハウスの住人に様々な嫌がらせをしているが、かつての自分と似た境遇にいる直也に対しては、心優しい一面見せている。美知留に別れを告げられてからは行動が一層エスカレートし、タケルや瑠可にも暴力を振るった。
その後美知留を騙して部屋に誘い込み、彼女をレイプし妊娠させた。しかし美知留がシェアハウスの住人たちに囲まれて笑顔を見せる写真を目にし、自分では美知留の支えになれないことを悟ると自身の想いを綴った手紙を遺して、自ら命を絶った。
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「しかし美知留がシェアハウスの住人たちに囲まれて笑顔を見せる写真を目にし、自分では美知留の支えになれないことを悟ると」
今、引用してみて私の解釈と違うのでちょっとびっくりした。
これはかなり宗佑を肯定的に見ている書き方だな。
宗佑の生い立ちについて、ドラマの中では直接に明らかにはされていない。
でも、美知留に対する激しい暴力と、美知留を家に閉じ込め外との接触を認めない歪んだ激しい愛情と、その間を行ったり来たりする宗佑の姿を見て、これは母親に対する感情なんだろうと思った。
母親から見捨てられた経験が、彼女と母親とを同一視させる原因なのかな、と。激しい憎しみ、怒りと見捨てられることへの不安。
ドラマのオープニングでは、登場人物それぞれを一言で表した言葉が添えられるのだけど、宗佑は「contradiction」だった。
生い立ちをみると確かに同情するところがある。
先に引用したwikiの説明にある宗佑の自殺の原因の書き方もそれを表してるように見える。宗佑に関しては、多くの人が死んでも仕方がないと思うんじゃないかな。というより、死ぬことでのみ最後を飾る、救われる、みたいな。
悲しいことだけれど、こういう命は確かに存在する。
それでも、宗佑はまだ死ぬことで救われるからましなのだ。
生育環境が劣悪だった、そういう後天的な事情ならば、死ぬことで自分を飾れる部分もある。また、そうでなくてもその後の矯正や教育でどうにでも変わる可能性はある。
じゃぁ、これが快楽殺人者だったらどうだろうか。
手当たり次第人を殺していく人間なんて社会から抹殺するしかない。
でも、これが脳の先天的な「異常」によるものだったとしたら?
もうどうにも、治療の仕様もない、矯正も教育の余地もない、そういうものだったら?
同情されることもなく、ただ社会に殺されて、ああ、よかった、ただそれだけ。
人間の世界に産み落とされてしまっただけなのに。
でも、この人間の世界に快楽殺人者の存在を許しておくわけにはいかないだろう。
「生まれてくる場所を間違えた命」、それは確かに存在する。
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私がリベラリズムよりもリバタリアニズムだと思うのは、こういう「生まれてくる場所を間違えた命」というものの存在を否定できないから。
福祉主義の大前提にされている「弱者は救済しなければならない」。それがどうにもなじめない。
「人間は助けるべき」とか「生まれてきたことに感謝しなければならない」とか、生きることを絶対視する姿勢、それこそがマイノリティへの無理解を表しているように思う。
リベラリズムの人には、かつてその存在が明らかでなかった快楽殺人者のような「人間」の存在についてはどう考えるのか、それを聞いてみたい。
新しい思想は常に人間の変化から生まれてくる。
そう思うと、彼女が必要だと思わない男の子が増えている、とかそういうニュースを聞くと、「あー、もしかしたら人間がそろそろ遺伝子から見捨てられる存在になりつつあるんじゃないかなー」的なことを思ったりします。
もし性欲がない人間がこのままどんどん増えていくと、男女の区別というものも必要でなくなってくるんだろうし、すべて人間と人間の関係、つまり「友情」ってことになるんだろうな。
それって、人間が滅亡する第一歩ってことだよね。
終わりの始まり。
でも、進化の過程を見ていたら、人間を駆逐する別の存在が出てくる、というのは必然なわけで。
今の時代に生きられたことを感謝するばかりです。
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だからこそ、人間の多様性というのは大事なんだな、と思う。 このまま新しい形の人間が増えていってしまったら、遺伝子の思うまま、よー
「多様性こそ完全性」。
人間は利己的な生き物。それでいい。利己的に生きた結果、それがちょっとでも他人の役に立つならもっといい。
大切なのは自分なの。他人ではないの。
— アナキャピたん (@anacaptan) 2014, 2月 28
そんなことを思いながら、この本を読んでます。
- 作者: 森村進
- 出版社/メーカー: 信山社
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ま、だからといって、生まれながらにまともな「頭」を持たせてもらった人間が、利己的に他人を傷つけることを肯定する気はさらさらありませんが。
「あなたの人生には意味がありますか?」という問いに対する答え
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「あなたの人生に意味はありますか?」という問いに対するいくつかの答え - ウラガミ
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「あなたの人生には意味がありますか?」という質問 - ジャムスタ
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私の人生の意味は、人が持ってきてくれる。
私的「思考のエンジン」−あえてアウトライナーから離れてみる
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以前、「思考のエンジン」(奥出直人著)という本をTak.さん(@takwordpiece)さんから勧めて頂きました。
- 作者: 奥出直人
- 出版社/メーカー: 株式会社 青土社
- 発売日: 2012/10/10
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デリダの「脱構築」の概念を、一般的な文書作成手法の観点から解釈し直した本といえるでしょうか。
たった一言でそれまでの固定された観念が一変する、自分にパラダイムシフトを起こしてくれる言葉というものが存在しますが、この本に書かれていた次の一文は私にとってまさにそれでした。
「(書く行為の第一段階は)できる限り最大のカオスを作り出し、どこに向かっているのかを分からなくすることである。」
p50より引用
■
本書26頁「我、書く、故に我在り」の章では、デリダの使う重要な概念である「エクリチュール」(書き言葉のこと)について、タイプライターも万年筆もいらない、書くことが存在することであると説明されています。
「私はテクストを生産する、これすなわち、私が存在するということにほかならない。そしてある程度まで、私は自分が生産するテクストそのものである。」
p27より引用
ここにいうテクストとは、ジョジョの奇妙な冒険でいうスタンドのようなもの、ということでしょうか。 *1
本書では、タイプライターがあるにも関わらず、なお手書きによる文章作成にこだわる作家に共通する性質として、「自分は、自分の生産するテキストそのものである」という感覚がみられるとしています。 これこそが、デリダ特有のエクリチュールの意味だと思います。 私の中では、書いた文字によって自分自身がつくられていく、そういうイメージです。書かなければ、自分にカタチは存在しない、という感覚。書かなければ意識が曖昧模糊としていて「自分が自分である」という明確な感覚を掴むことができない。 デリダのいう「脱構築」とはこういうものなのかな、と実感しています。
■
本書では、このような手書きによるエクリチュールに対する概念として、タイプライター的思考というものが挙げられています。
「テキストの部分を機械の部品のように扱って今までとは違った全体を構成するタイプライター的思考は、たしかにロゴス現前の伝統的な場所(決まりきった表現形式)を乗り越え新しい表現形式を様々に実験するモダンな試みであった。
だが、この背後にある部分と全体という考えも、全体が指し示すなにかを前提としている点で再び「ロゴス現前」の過ちを犯しているといえる。」
p31より引用
「テキストの部分を機械の部品のように扱って今までとは違った全体を構成するタイプライター的思考」。これは、まさにアウトライナーのことではないでしょうか。
■
ここまで読んで、昔のことを思い出していました。
私は、赤ちゃんの頃、紙にひたすらペンで文字らしきものを書いていた子だったそうです。
ハイパーグラフィアというものをご存知でしょうか。
- 作者: アリス・W・フラハティ,茂木健一郎,吉田利子
- 出版社/メーカー: ランダムハウス講談社
- 発売日: 2006/02/03
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Passion For The Future: 書きたがる脳 言語と創造性の科学
Hypergraphia - Wikipedia, the free encyclopedia
ハイパーグラフィアとは、側頭葉の損傷により生じる精神疾患の一つで、特に意味のない文字を書き続けていなければいられないという症状のことをいいます。かつて、本屋でこの本を見かけたとき、自分の子供の頃の話を思い出して読んでみました。でも、記憶にある幼少期以降を振り返ってもこうした症状は特別思い出せませんでした。
ただ、「書く」という行為が自分にとって特別な意味を持っている、というのは昔から感じていました。 20歳前後の時には、書かなければ記憶はできないし、本を読むことも一度書き写してからでなければ理解することが難しい状態でした。
法律の勉強をしていたせいもあり、論理的な文章を書くように努めていたため、長らく自分の中での文章作成とは、作図をしてそこに単語をのせていく、というイメージでした。まず結論と構造ありき。
そのために論理的に書かなければならない、ということに過度に囚われてしまっていたようです。
デリダの言葉の通り「文章が論理に汚染される。」
まさにこの状態だったと思います。
ただ、論理性にこだわることが、自分の意識を確かなものにする、という思いがありました。
ほっておくとあまりにも思考が拡散して止められなくなる、そういう空恐ろしい意識にブレーキをかけるもの、それが私にとっての「論理」だったのだと思います。
正常と狂気の境界線。自分をこちらの世界に踏みとどまらせるもの、それが「論理」であり、法律を選んだ理由もそこにあるような気がします。
大学進学当時にそのように明確に意識をしていたわけではありませんが、無意識のうちに自分の体が自分の頭を守る方法を私に選ばせた、そういう感じです。
■
で、もう一度昔のように、ノートとペンで自由にメモをすることからはじめてみました。 最初は結論の見えていない文章、前後のつながりのない言葉を書いていく、ということに抵抗がありました。でも、冒頭の「(書く行為の第一段階は)できる限り最大のカオスを作り出し、どこに向かっているのかを分からなくすることである。」の一言で、すっと固定観念から離れることができたように思います。
今、お気に入りのノートはコクヨのLEVEL BOOKというノートです。
自由に思ったことを、字の綺麗さも気にすることなく前後関係も気にすることなくただ書き連ねて行くと、その中から自然につながりそうなテーマや言葉が浮かんでくることが分かりました。
それを三色ボールペンで囲ったり、まるをつけたりしながら、ブログを書いています。
本書にあるオープン・エンディッド・ライティングプロセス。文章を書く過程というのは、まさにこういうことなんだなーと実感。
それと同時に、法律答案も解答例をただ写経する、というところからやってみています。
まさに法律の勉強を始めたばかりの時にとっていた方法です。
その時の自分の頭の様子を観察してみると、書き写しながら、同時に既に書かれた文章を読み返して、今まさに手で書いている文章との関係を考えていることが分かりました。
そうか、こうやってやっていたっけ、
ずっと忘れていたものを少しずつ取り戻しているような感じがします。
はー つかれたし、でも、うれしい
- 出版社/メーカー: コクヨ
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これは、こんな感じに、左頁には5ミリ×1センチ程度の四角形が書いてあり、右頁は通常のノートと同じく 罫線が入っているので、自由につらつら文を書いてもいけるし、単語の関係や流れを整理しながら書いてもいけるので、とても気にいってます。
パソコンに向かうと、白くて綺麗な画面なので、そこに意味ある言葉を書かなければいけないような気がしてきてしまって、どうも自由に文章が書けなくなってしまうようです。
あえてしばらく使い続けてきたアウトライナーから離れて、手書きで文字を書く、という感覚自体を楽しみたいと思います。
Do I know where my brain is ?
*1:私は、この漫画を読んだことがないので聞きかじりでしかないのですが、スタンドというものが「自己」を前提としたものならば、ここで挙げる例としては適切でないと思います。なので、現時点では打ち消しておくことにしました(2014/2/15 2:07追記)。
スラムドッグ$ミリオネア
「極楽飯店」−人生はベルトコンベアー
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- 作者: 雲黒斎
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2013/02/26
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おもしろい!
こんな楽しく、そして分かりやすく仏教的考え方を説明した本を他に知らない。
いろんなことを考えた本。
閻魔によって地獄に連れてこられた男たちが、そこで世の中の仕組みを学び、悟りを開いていくまでの過程が軽妙なタッチで書かれています。
「天国にあって地獄にないもの、地獄にあって天国にないもの」
皆さんなら、何を思い浮かべますか。
■
心理学の根本は仏教思想にある、という考え方があります。
「唯識と論理療法」という本からちょっと引用。
個人的には、仏教を初めとする宗教も心理学もココロをラクにするものなので、「仏教心理学」というジャンルはとてもしっくりきます*1。
ゴータマ・ブッダの仏教を原点的に理解しながら、あらゆる仏教に共通する基盤を確認しようとすると、いわゆる「通仏教」的に見れば、ブッダの教えの正統的な発展として、空思想があり、唯識思想があるといえるのです。そして、その唯識思想がまさに心理学になっているわけです。ブッダ以来の仏教の流れのもっとも正統的で、しかも心理学的な理論としては、唯識があるといえるのではないかということです。
p19-20より
- 作者: 岡野守也
- 出版社/メーカー: 佼成出版社
- 発売日: 2004/10
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「唯識」とは、大乗仏教をより詳細な学問体系として発展させたもの。
つまり、おおざっぱに言っちゃうと「唯識」とは、仏教の基本となる考え方。
では、仏教の基本概念とは何かというと「縁起」、「無常」、「無我」、そして、これらを全部まとめたものが「空」。
しかし、この「空」という概念はともすると「虚無主義」と混同されがちだったので、この誤解を解消すべく大乗仏教をより詳細な教学にしたものが「唯識」。
えっと、仏教の専門家の方からすると怒り沸騰の説明だとは思うのだけども、ごくごく簡単にまとめるとこういうことだと思います。
つまり、全ての苦しみは他と切り離された「自分」というものをつくるから生まれるもので、その「自分」という意識さえなくせば、あらゆる苦しみから解放される。なぜなら、その分離意識からくる不安定感、安心感の欠如こそが、すべての苦しみの大元だから。
あらゆる存在は関係の中でのみ存在し(縁起)、その関係が変われば存在自体の性質も変化する(無常)、だから存在の一つである自分・自我も固定されたものとしては存在せず(無我)、「自分」を実体として考えること自体が人間の幻想だ、ということ*2。
そして、その「自我」を作り出す一番の原因は「言葉」にあるとされます。
言葉によっていろんなものに名前がつけられる。こうした名付けが「分離という錯覚」を生み、人間同士を隔ててしまう。それが人間の対立のもととなっている。人はみな無償の愛(=神のこととされます)と常につながっていて、全ての人は愛という一つに「統合」されている。なのに、人間自身が、わざわざこの統合から分離することによって、自分自身を苦しめている、という考え方です*3。
この「縁起、無常、無我」について、「極楽飯店」では、こんな端的な表現でまとめられています。
「実はね、人間がどれほど苦しんでいようと神は何もしてはくれない。それらが現実でないことを知っているからね。神々から見たら、あらゆることが『大丈夫、大丈夫』ってことになる。」
p261より引用
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えっと、しかしですね、つまりですね、
言葉をなくせ、自我をなくせ、そうすれば苦しみから解放されるぞ、ということで、要は人間やめれば苦しみから解放されるぞ、と言ってるだけなのであってですね、結局死ななきゃだめってことじゃんみたいなですね、そういうことなのですね。
たしかに、これこそ世の中の真実。確かに。しかし、わたしたちはよくも悪くも人間なのであってですね、苦しみと引き換えに手に入れた「言葉」によって考えたり、工夫したり、モノごとをこねくりまわしたり、カタチをかえてみたり、そういう能力を与えられたわけです。
「唯識と論理療法」では、この「唯識」という一種諦めの境地、を理解したうえで、それでもなおラクに生きるための手段として「論理療法」をとりあげます。
論理療法と仏教との統合を試みることで、仏教を日常に生かせる思想としてつくりなおす、という感じでしょうか。
「個」の意志と理性の力を寄る辺とする論理療法によって、「個」を消失させる仏教が初めて実践可能になる、というのはおもしろいなーと思う。
西洋と東洋の融合というか、接点というか、その境界はグラデーションのイメージ。
唯識を理解し生活に生かせるまでになる、その途中の「方便」として、論理療法も採用していこうということです。論理療法ですべてを解決しようとするのではなく、仏教的にはたどり着くべき目標はまだ先にあるという姿勢で使っていくと、非常に現代的な、説得性のある、有効性のある仏教心理学というものが浮かび上がってくると思います。
p20より引用
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悲しいことやつらいことがあったときに、その感情を少しでも和らげ自分をラクにさせるために、感情を引き起こしている原因に焦点をあてるもの。
何かつらいことがおこった、そういうときでも起こってしまった出来事をなかったことにすることはできません。泣くことは大事。でも、いつまでも感情の中に自分を沈み込ませていても、あまりラクになれそうにもない。
論理療法では、しんどい感情を引き起こしているものは「出来事」ではなく、それに対する「自分の考え方」だとします。
出来事から感情が引き起こされるまでの間にある「自分が知らず知らずのうちに抱いてしまっている無意識の信念」にまず気づくこと、それは自分の考え方なのだから、自分の意志によって変えることができる。考え方さえ変化させることができれば、そこから引き起こされる感情も自滅的なものではなくなる、というしくみ。
つまりですね、悲しい、つらい、それは単に自分自身がそれを「選んでいる」結果にすぎないと考えるわけなのです。
これは、厳しく徹底的な、まさに超絶破壊的セラピーともいえるもの。
自分の無意識の信念を探り出して、それを徹底的に叩き壊して、新たなモノの見方を獲得しよう、そういうものです。
このセラピーには賛否両論あるとは思います。でも、これを獲得するまでの過程で、人には「意志」という能力がある、ということに気づかせてくれる。
人の能力や努力というものの力ってすごい、人ってすごいと純粋に感じることができます。
論理療法についてはこちらがおすすめ。
性格は変えられない、それでも人生は変えられる―エリス博士のセルフ・セラピー
- 作者: アルバートエリス,Arbert Ellis,斉藤勇
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2000/07
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↑なんかさー、タイトルが買う気にならんよねーって思ったアナタ、ともだちになりましょう。いい本なのに、タイトルで食わず嫌いしちゃってるとか、結構あると思うんだよね。って、私だけかも?
こちらもあります。こっちは、上の「唯識と論理療法」の著者による、より入門的な本です。
- 作者: 岡野守也
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2008/06
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ちなみに、「極楽飯店」と同じ著者が書いた「あの世に聞いた、この世の仕組み」という本もおすすめ。
ほんと目からウロコ。これは論理療法のような努力なくして、新たなモノの見方、を知ることができます。
…著者名には、ふれないように、ふふ
- 作者: 雲黒斎
- 出版社/メーカー: サンマーク出版
- 発売日: 2010/03/19
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- 作者: 雲黒斎
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てか、2もでてるんだー、知らなかった これは読みたい
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「天国にあって地獄にないもの、地獄にあって天国にないもの」
皆さんなら、何を思い浮かべますか。
はー、じんせいべるとこんべやー
「考える」それは「人に会うこと」。 僕は才能は枯渇しないと思っててそれは自分の中にあるんじゃなくて、目の前にある人を見ること「この人が奇跡をこれから起こしてくれるかもしれない」と完全に思ってる。人生すべて他力本願で生きている。
— 箭内道彦bot (@871_bot) 2012, 5月 9
文書作成のイメージ
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書きました。本を書くときに、こんなことをやっていました。|考えがまとまらない時の書き出しに使うツール2種 | シゴタノ! http://t.co/ZacbjsTBUc
— Kumi Ebina (@kumiab) 2014, 1月 20
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スピードハック研究会のメルマガをいつも楽しみにしています。
そのアシスタントをつとめていらっしゃる海老名久美さんのエントリを今朝読みました。
私も文章を書くとき、そのアイデアの断片は一文の形ではなく、キーワードの形で思い浮かびます。今、解消したい不満の一つが、キーワードのみで書いたブログの下書きを、文章として完成させるまでに時間がかかりすぎること。結局下書きのまま、いつまでも冷凍保存されているのがたくさん残ってます。キーワードという形でなく一文の形で断片を捉えるようにしないのが原因なのか、ともやもやしていたところ、このエントリでほーっとラクになりました。キーワードの形で下書きをつくっていくのでおっけーだったと。
じゃぁ、何が原因かなと考えてみて、そういえば自分には書いた断片を折に触れて読み返す習慣がないことを再認識。文章のアイデアに限らず、書いたメモを「読み返す」仕組みがつくれないことも解消すべき不満だったことを思い出せました。このエントリを「読み返す」ことで、仕組みづくりの第一歩にできる気がします。
そして、今日の一連のツイート。
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QT「語句を書き出すときには、適度に余白を空けて書きます。また、突拍子もないアイデアが出てきたときは、ノートの端に書いておいたりもします。後で、全体をボーッと眺めている内に、線で結べる点を見つけたり、余白を埋めていくような考えが浮かんだりするのです。」
他の人が文章を書くプロセスを知ることで、自分もこれでよかったんだと思える。うれしい。
QT「手で書き出したMDノートは、このままでは文章になりません。実際には、文章はパソコンで書いていますから、ノートに書いたことを、文章を入力することを補助してくれるような素材に落とし込みたいと考えます。そこで、登場するのがScappleです。」
Scappleのページ。こんなアプリでした。http://t.co/3Q6a6HdEiY
言葉と言葉の間に「自分」をはさんで、新しいつながりをつくる。それが「発想」なんだろうな。それを通して新しい「自分」が見つかることもある。楽しい。
こうした「発想」を支援することで文章作成を補助するアプリはたくさんあるのに、「論理」をつめていく過程を支援することで文章作成を補助してくれるアプリっていうのが見当たらないのが残念。
今、自分が法律的な文章なり、試験の答案なりを書く前段階として使っている道具は、コクヨのレベルブック、定規、製図用のシャーペン、4色ボールペンかな。アプリではフローチャートを書くLekh Diagram。
既に枠組みが決まっていて、そこに言葉をあてはめていく。言葉と言葉の間が飛ばないように注意しながら、その過程を入れ子構造的に続けていく。そして、出来上がった文章全体は条文の趣旨という一言で貫かれている。これが私の持ってる法律文書のイメージ。
このイメージは、なんとなく建築の設計図に近い☺︎ 建築に憧れる理由の一つが、こういう紙の上の緻密な計算が、目に見える美しいカタチになること。そして、そのカタチの一つ一つは、泥くさい地道な工事によって出来上がるところ。
こういうのとか、どきどきする☺︎ http://t.co/FevD3x3b4D
こういう風に答案が書けるようになるまでがんばるのよー( `・ω・)
勉強します (白目
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緻密な四角形を積み上げていくように。
口述筆記試案−音声入力によるtweetをつなげるとこから始めてみる
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"私は確認してよかったことをメモに書き、写真に撮りました。これが次回、改めて投資家として振る舞う脳に「楽観的未確認情報を疑う」という論拠になる" http://t.co/0mieDGTvm2
— 佐々木正悟 (@nokiba) January 18, 2014
いつも更新を楽しみにしているブログの一つに、佐々木正悟さんのライフハック心理学があります。
基本、私はナマケモノを体現した人間なので、ライフハックのようにココロにモチベーションを注いでくれるものがなければ、何日でも何ヶ月でも横になって時間を過ごせるという、どうにも使い物になるようなならないような特技があります。ナマケモノから抜け出そうと少なからず焦るナマケモノである、というとこは、使いようによっては長所といえるかもしれません。
で、いつのまにか2014年も36分の1が過ぎたらしいこの時期に、2014年の抱負を書いておかなきゃ、とようやくお尻に火をつけて、このブログを書いてます。
去年から気になっていること、それは口述筆記の練習。
いつものごとくそのままになってしまってるので、今年は口述筆記の記事をもっと書くことを目標の一つにします。宣言しました。「口述筆記」とするとハードルが高いので、tweetのつぶやきを音声入力しそのつぶやきをつなげていこうと思います。早速昨日のつぶやきをアップしてみます。これは、ブログを書こう!と思うよりもだいぶラクでした。いい感じです。うん。
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ひたすら怠けたい気分になったとき用に、タスクシュートに「回復」というモードを追加した。なんとか怠けゴコロをなだめすかした記録をこのモードにして残しておく。#tips
この怠けゴコロが生まれてから消えるまでの過程を記録して再現できるようになれば最高なんだけどなーヾ(⌒(•́ω•)。感情のプロセスの客観化。タスクシュートでなら、夢じゃなさそう。
感情のプロセスの取り出しか。こないだ久しぶりにDVDを借りた。「脳男」と「攻殻機動隊arise」。前者は生まれつき感情が欠落している男が主人公、後者は生まれつき身体が欠落している女が主人公。
草薙素子の出生が明かされてた。母親が妊娠中に事故にあって死亡。お腹にいた素子の救出が試みられるが、身体は助けられず、脳だけがかろうじて残る。そのため素子の身体は全部が擬態。
ってこういうことを考えていると、いつも有体物と無体物の違いにつながるんじゃないかっていう気がしてくる。
Business Law Journal2月号48頁に、無体の財貨である情報と有体物の差異を意識して書かれた記述として、中山信弘先生の「特許法」の一部が引用されてた。
「発明完成から特許登録に至るまでその内容は常に変化する可能性を有しており、また登録後に於いてすら訂正により変化する可能性がある。従って発明と登録の関係は、物権変動における原因事由の発生とその登記・登録とはかなり様相が異なっている。発明完成時には、
その後の道筋を読むことは妥当でなく、逆に、登録された特許から遡及的に完成された発明を見ることになろう。」(第2版158頁)。企業の法務担当者の方がお勧めの本の1冊として中山先生の特許法を挙げているページなのだけど、この本の前記引用部分を読んでから、共同研究契約等で「発明をなしたら直ちに相手方に通知」といった表現を使用することを避けるようになったそう。
形の変わらない有体物と、常にその形が変わる可能性がある無体物かー。情報ってなんだべ、とか。
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これを読み返しながら、芦田宏直先生(@jai_an)の女性試論を思い出しました。 「【第二版】女性とは何か−女性にとって男性とは何か」
このエントリも芦田先生の連続するつぶやきがそのままブログ記事としてアップされたものです。
【女性について(20)】だから、男性が女性を囲いたがるのは、女性の背後に他者(他の男性への柔軟性)を感じているから。女性の男性像が不安定だから。それが異性愛のダイナミクスを産んでいる。そして文学や芸術をも。
【女性について(21)】したがって、女性が恋愛をして、「私が選んだ人」というふうに主体転換し、無事(とりあえず)結婚へ至るということが、どんなに危うい偶然の上になり立っているか、ここに思いをはせない恋愛論はありえない。
【女性について(22)】男性は(極論を言えば)「好き、好き、好き」を押し通せばいいだけのことなのだから。女性が「好き、好き、好き」と押せば、男性は腰を引くばかりだ。
【女性について(23)】つまり、恋愛は、n個の主体(=個人の自由)による意志と能力によってなされるものではない。恋愛は、特に女性にとって〈出会い〉でしかない。〈恋愛〉ほど反近代的なものはない。だから主体性が強化されればされるほど、女性は恋愛から疎外される。少子化現象も、主体主義・自立主義的な近代化のなれの果てかも知れない。
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草薙素子の身体が女性なのは、なぜなのだろうな。
身体の一部が機械な女性っていうのは、他にもナウシカのクシャナだったり、幽遊白書の躯だったり。どのキャラクターも中性的に描かれていると思うけど、やっぱり女性なんだよね。
「ゴースト」というものは果たしてなんだろう。
それはたぶん「記憶」なのだろうと思うけど。
脳男の主人公、鈴木一郎は生まれつき「感情」が欠落している人間で、後の教育によって感情というものの存在を教えられ、感情に従った行動がどういうものかを知識として学び、行動する青年。彼にとっての感情とは、教え込まれた「記憶」の再現。
…って書いてたら、また見たくなってきたので、ごはんでも食べながら脳男みよー。
12歳以下は見ちゃダメ指定がある、ちょっと黒い映画ではあるけれど、鈴木一郎を演じる生田斗真が松雪泰子を必死で助けようとするラストシーンは、とてもとても感動的でものすごく泣いた。
バックで流れてた音楽、早速買っちゃったよ。
いいよ、ほんと。いい。うん。最高。
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芦田先生の女性試論は、人のカタチの外延がとても明確だ。
それこそが「近代」という意味なのじゃないかな、と思ったりもする。
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時間管理のために色を使う
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@simplesynthesis 理想の時間の使い方に近いほど美しいとか、素敵
— Tak. (@takwordpiece) January 15, 2014
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タスクシュートを使い出して、どれくらいになるだろう。 本格的に使い出したのは去年の夏くらい。
今では、もはやこれがないと生活ができないというとこまできた。 それは自分の意思がとても弱いことの裏返しなんだろうけど、それでも思い通りにならない自分のキモチをうまくコントロールする道具を見つけられたことは、これ以上ないしあわせ。 こういう出会いがあるから、人生はやめられない。
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増やしたい時間に好きな色をあてる。それがとても楽しい。 記憶する時間を薄いピンクにした。リラクゼーションの時間の薄い水色とあっていて、きれいなログになる。うれしい。
理想の色は、白いベースに淡いさし色。
メインで進めるものは、白に。 増やしたい記憶の時間は、淡いピンクに。
今のところ、リラクゼーションを淡い水色にしているけど、これだと増えてもイヤだなと思わないので少し考えないといけないかも。白とピンクと水色、これにほんの少し緑をたした色のバランスが好きなので、淡い緑をリラクゼーションの時間の色にしてみる。
あと、どうでもいいんだけど毎日必ずやらなきゃいけないものにかかる時間については、見てもイヤな気にならないようにしたい。これを淡い水色にしてみようか。
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白い雪と淡い桜色。
優しくて、儚くて、きれいだなー
タスクシュートについては、こちらに詳細が書かれています。人生を変える出会いになるかもしれません。
タスク管理ツール・TaskChute2(PayPal決済)
誰を被告にすべき?−民法714条と主観的予備的併合
(民事系例題)小学5年生のAは、自宅で父B及び母Cが不在中に仏壇に置いてあるマッチを点火して遊んでいた際、誤って火の付いたマッチ棒を床に落とし、自宅を全焼させてしまった上、隣家Dの自宅も全焼させてしまった。Dが、A,B,Cらに訴訟を提起する際の民事訴訟法上の問題点を検討せよ。
— 赤木真也 (@akagilaw) 2013, 12月 26
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この問題を考えながら、以前、こちらのエントリで書いた次の言葉を思い出しました。
本書は、被告側の事情により原告にとって被告とすべき者が明らかでないときは、原告に被告となりうる者を訴訟にひっぱりだす手段が認められるべきとする。これが、主観的予備的併合を認めるべき、とする解釈につながっていく。
主観的予備的併合とは、被告を誰にしたらいいのやら分からない、そういう場面であることを再認識。
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んで、考えた結果がこうなりました。
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その後、赤木先生はこのようにつぶやいていらっしゃいました。
結局請求の趣旨としては、「被告らは、原告に対し、連帯して~」と一本でいいのであろう。同時審判が認められるのであれば、主観的選択的(予備的)併合の問題は出てこなくてすむ。
— 赤木真也 (@akagilaw) 2013, 12月 26
上のダイアグラムの数字を使うと、主観的選択的併合*1になる場合とは、子に責任能力が認められるときの子への709と親への709③を併合する場合、 主観的予備的併合になる場合とは、子に責任能力が認められるときの子への709と子に責任能力が認められないときの親への714①を併合する場合、でいいのかな?
11歳というのは、実際裁判で責任能力が認められやすいのだろうか…。どうなのだろう。 そして、主観的選択的併合の具体例というのを初めて見た。なるほど。不真正連帯債務とかも主観的選択的併合っぽい。多数当事者の債務関係は主観的選択的併合になりそうだけど、それでいいのかな。
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それにしても、主観的予備的併合は実務では認められないものと思っていたけど、こちらのブログにこれを認めた判例が紹介されていました。
jugement:主観的予備的併合を適法と認めた事例: Matimulog
上の事例ではどうなのかなー。予備的被告となるとその地位が不安定になる、という理屈は親子間でもあてはまるのだろうか…。
うーむ。
産業再生機構とKanebo bailout―悩ましすぎるofとか
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昨日のエントリの続き。
債務超過に陥った企業を立て直し再生させるには、まず抱えている債務を減らすことが必要。 その方法として私的整理と法的整理の2種類がある。前者は債権者の同意を得て債務を減らす方法で、後者は裁判所の関与の下、債権者の同意とは無関係に債務を減らす方法。
2004年にカネボウが破綻したとき、産業再生機構が介入してその再生を図ったけれど、この産業再生機構による再生は「政府主導の私的整理」。
私的整理は、本来各債権者と債務者が話し合って再生に向けて債務を減らす方策を考えるものだけれど、その交渉は当事者だけではうまく進まないことも多い。特に、債権額が莫大なメインバンクと、少額な債権の回収より再生にかかる負担を避けたい非メインバンクという利害状況の違いが交渉の難化に拍車をかける。
メインバンクが策定した再生案に対し非メインバンクが同意しない場合は、法的整理へと移ることになる。しかし、これによる企業の信用力低下は、企業のPL改善に与える悪影響が大きい。円滑な再生の実現という観点からは法的整理はなるべく避けたい。そのため、再生への同意を取り付けるべく、メインが非メインの債権を肩代わりする「メイン寄せ」が行われるようになる。その結果、メインバンクの負担が重くなりすぎる弊害が生じることになる。
そこで、このメイン寄せの弊害を回避すべく産業再生機構が設立される。当事者間の交渉に政府が介入し、メインバンクの代わりに非メインバンクから不良債権を買取りその処理を行うことが目的。これにより、メイン寄せの弊害を回避し、私的整理の本来のメリットを生かすという趣旨。
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2004年3月27日付のJapanTimesには、産業再生機構によるカネボウ支援決定のニュースが掲載されている。
Burden of Kanebo bailout (産業再生機構のカネボウ支援) | 英語の社説ならジャパンタイムズウィークリー
当時は一生懸命読みました。 JapanTimesの2004年版を買ってリスニングCDでも結構繰り返して聞いたっけ。 他の記事は全然興味持てなかったんだけど、これだけはなんかとても興味があって写経したりもした。なつかしい。
久しぶりに記事を見たら単語も文法も全部忘れてるんだけど、なかでも特にひっかかったのはこれ。
So far, the IRC has come to the rescue of more than 10 companies, of which Kanebo is the largest.
関係代名詞のwhoseとof whichの使い分け、というのは英文レターを書く際も悩ましいとこだった。仕事では慣例のようにof whichを使っていたのだけど、きちんと使い分けがあったのね(高校の英文法だった 汗)…。
使い分けに関しては、以下のURLが参考になりました。
関係代名詞のwhoseとof whichについて。文法の正誤。 まずはwhoseを使った文。 1.... - Yahoo!知恵袋
で、上の文だけど、この文を関係代名詞を使わないで書くと、
So far, the IRC has come to the rescue of more than 10 companies.
Kanebo of 10 companies is the largest.
でいいのかしらん?
って、書き直してみて、そういえば前置詞ofっていうのも、非常に悩ましいヤツだったことを思い出した。
Kanebo of 10 companiesって、所属のof? 10社のうちのカネボウ…でof…。 どうも違和感があるのだけど、これはもともとのKanebo of 10 companiesが間違っている??
むー。
それにしても、このRAVCOっていう英文法の解説サイトはすごくいいね。
よく見たら、英語だけじゃなくて数学とかもある!
算数つくってくれないかな、算数。
どうして、そういう公式になるのか、っていうとこを説明してくれるサイトがないかしらん。
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Have a happy study.
なんてすてきないいコピー
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2013/12/22 13:57追記
@simplesynthesis 最上級に伴うofなので、of ten companies はlargestの後だと思います。訳も最上級で解釈していますね。
— makoto (@risingsun3s) 2013, 12月 22
うぁー 違った!
もー全然所有格のof whichじゃないじゃん!これは目的格だけど、前置詞と組み合わさっているので、先行詞の直後に置かれている‥でいいのかな。
つまり、Kanebo is (the largest of 10 companies).この( )全体を補語と見て、of whichは目的格の関係代名詞になる、かな。補語は目的格でいいんよね、確か‥。
それと、the largest of 10 companiesがofでinじゃない理由はこちらにありました。
13.最上級のinとofの使い分けの謎 | 学習自由区 - 楽天ブログ
of whichの形を見て瞬間的に、whoseとの違いがわからんって思ってたのを思い出してしまいました‥///// ありがとうございます。
あー はずかしー もー きゃー
「企業再生とM&Aのすべて」(藤原総一郎著)
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久しぶりに、この本を読み返してみた。
- 作者: 藤原総一郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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発刊されたのが会社法改正前なので現行法に置き換えて読まなきゃいけないところはあるけれど、経済の話が法律の話とリンクさせて説明してある良書。
商法や会社法の勉強をするときいつも思っていたのが、この法律が実際にどう使われるのかが見えないということ。私法って結局経済的なことが分かってないとほんとの理解って難しい。経済的な必要性があってそれに沿って法制度が整えられていく状況や、経済的な利害関係がどういう風に権利義務という形に引き直してあるのか、そういうことをもっと知りたい。
…と思っていた頃に買った本。
企業再生法の説明の前提として、再生が必要となるに至ったバブル経済崩壊までの背景が分かりやすくまとめてある。 企業が債務超過に陥った際に、BSやPLがどう使われるのかも具体的に書いてあります。
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記憶のために、ダイアグラム。
特に、読んでて「おっ」って思ったのが、BS改善のための債務消滅債務額を減らす手段が法的構成とともに書いてあったとこ。
DES(Debt Equity Swap)が代物弁済で、 DDS(Debt Debt Swap)が更改だっていうのは、最初読んだとき感動しました。 同時に、あー、民法分かってないとも思った。
民法の「債権の実現」のところ、目次を確認。
- 債務内容の確定
- 物の引渡請求権
- 特定物
- 種類物
- 金の引渡請求権
- 金銭債権
- 利息請求権
- 物の引渡請求権
- 債権実現に向けた(確定した)債務内容の変更
- 更改−債務存続
- 債務引受
- 任意による債権の実現
- 弁済−債務消滅
- 相殺
- 債権譲渡
- 強制による債権の実現
- 強制履行
- 損害賠償
DDSは更改なので内容が変わるにせよ、債権自体は残る。だから、債権者の同意が得やすい。これに対してDESは代物弁済なので元の債権は消滅してしまう。だから、債権者の同意が得にくい。
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相殺と債権譲渡と代物弁済の違いっていうのも興味深い。
兄弟姉妹のアウトラインの関係を考えるのは面白いな。
物権と債権、そして物権から債権化への流れ
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「この世の全ての事象を権利と義務で説明しようという、物理学にも比すべき壮大な営為」
法学を定義してこう書いていらしたのは、確か内田貴先生だった気がする。
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物権と債権について復習がてらアウトラインを書いていたら、いろいろ広がってきちゃって、収集がつかなくなってきた。 こうなるともう文章としてまとめるのは難しいので、アウトラインのまま放り投げてみることにする。後は勝手に育ってくれることを期待。
- 物権とは、物に対する直接的支配権
- 一物一権主義
- 一物一権主義を、権利の客体の側から見ると、一つの物権の客体は、1個の物である、ことになる。
- これが一物一権主義のもう一つの内容。物と権利は1:1対応。
- これが原則。
- 抵当目的物の拡大
- ただ、抵当権のところを見てて思うのは、物権の客体が拡大されてるなってこと。
- 付加一体物に従たる権利やを含めるところや、法定地上権も抵当権の客体の拡大。
- 大村民法では、一括競売(392)は、競売権の範囲で土地抵当権の効力が建物にも及ぶと記載されているから、これは一物一権主義の例外と位置付けてると読める。
- 日本の民法では土地と建物は別個の不動産。
- 一物一権主義による歯止め
- 合有・総有ー物全体に対する所有権という実態の説明概念
- 合有や総有というのは、複数の人がもつ物を集めてメンバー皆で利用できるようにしようというのが基本的な発想。
- なので、集めた物を簡単に売ったり、返してくれって言うことはできないことになっている。
- 持分処分の自由、分割請求権の制限(676)
- これを債権でやったのがプール。
- プールの目的は、もともとは参入障壁をつくり、自分たちの市場競争力を維持するための仕組み。
- 利用メンバーの限定という側面の利用。
- 情報の私有・共有・公有からエジソンの話引用。
- 現在では投資のスキームとして使われもする=証券化=流動化
"投資<融資"
- メンバーの流動化が目的。
- 知的財産権を金融商品にするスキーム
- 資産流動化対象資産としての知的財産 http://www.iip.or.jp/summary/pdf/detail03j/15_20.pdf
- 資産流動化の方法
- プールの目的は、もともとは参入障壁をつくり、自分たちの市場競争力を維持するための仕組み。
- 債権化
- 物権から債権の流れ。
- 流動化=譲渡→そのための証券化
- 抵当権の交換価値の側面が重視されて、物上代位の範囲が拡張されていること。これも物権の債権化の流れといえる。
- 島並先生の「物権的構成の限界」がとても興味深い。
- 物権から債権の流れ。
- 人を介在しない物権から、人を介在する債権化への流れ。
- 不動産価値の下落
- 人からの回収
- 債権譲渡=デフォルトリスクの移転
- 人的担保との類似性
- 債権譲渡=デフォルトリスクの移転
■
物権と債権って、人と人との関係の説明にも使える気がしてる。
そんな風に、単純化したい。
単純化できたら、もっと分かるし、きっとラク。
いろいろどうでもよくなってからがはじまりだ。 by TO
— Copy writing (@Copy__writing) 2013, 12月 16
「長い間考え続けてきたことの答えの一端に、ほんのちょっとだけ手が触れたような気がした。」
教科書でも参考書でも、頭から写経のように何度も書き写す。次に頭から自分の言葉に置き換えながら書き直す。何回も書き直しているうちに文面は原型をとどめないくらいになる。そこまでくる頃には内容は頭に焼き付いている。
もうとっくに大人の年齢だったし、それなりに勉強してきた、というプライドだってあった。だから、これは本当に先の見えないつらい闘いだったけれど、なんとか本が読める状態に戻ってきて、今は少しずつ自分を取り戻している気持ちがする。